日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎松茸の握り

◎松茸の握り
 小学生の時に母が長期入院をしており、月に二度、独りでその母の見舞いに行った。片道が一時間半のバスの旅で、朝出掛け昼頃まで母のベッドの脇にいて、それからまたバスに乗って帰った。
 最初はそのまま帰っていたが、慣れて来ると、街に出てラーメンを食べたり、映画を観たりしてから帰るようになった。
 それが習慣になり、大学生までは、いつも月に二度は映画を観ていた。
 大学生になり、東京で暮らすようになったが、盛岡に帰省する時にも、まっすぐ家には戻らず、映画を観てからまた電車に乗って帰った。よっていつも実家に着くのは夜中だった。
 帰省する時には、一日移動してそのまま映画を観たので、観終わると腹が減る。
 そこで映画館通りで飯を食ったが、ビルの中にある映画館(名称失念)に寄った時には、そのビルの一階にある寿司屋に寄った。ビールを一杯飲んで、握りを一揃い食べてから駅に向かう。
 その寿司屋では、秋になると松茸の握りを出したので、〆にはそれを食べた。
 松茸を網で炙って、シャリに乗せただけの握りで、岩塩で食べる。これがキュキュッという歯触りですごく美味い。

 ある時、実家にいる時に父の所用で市内に行ったが、用事が終わった後で「何か食べよう」と言うことになり、当方がその寿司屋に連れて行った。
 父は「松茸をこうやって食うことを思い付くのが職人のセンスだ」みたいなことを言ったと思う。
 大体は、ただ焼くか、吸い物にして食べる。

 父の知人が葛巻町にいて、この町は北上山系の山の中にあるから、秋になると必ず松茸が届いた。松茸が五六本入った段ボールの小箱が、家の玄関の前に置いてある。
 これが物凄くでかくて、それを観る度に「アンドレのチン※」をイメージした。それがあると、「葛巻のあの人が来た」というのが分かった。
 父母はそれほどこのキノコが好みではなかったので、当方がそのまま焼いて食った。
 葛巻町出身の叔母とよく話すが、自然を眺めて暮らすには、この町は最高の場所だ。文字通り季節を肌で感じながら暮らすことが出来る。
 「春から秋までは最高に美しい町」だ。
 今はその街に移住すると、家を一軒くれるのだが、人口が減るのは、冬には完全に雪で覆われることによる。外出が出来ないから、自宅でする生業が中心になる。

 ある時、毎年必ず玄関先に置かれている松茸がパタッと来なくなった。父に確かめると、「知人(遠縁)の誰それが亡くなった」と答えた。
 遠縁ならその家の人と付き合いがあるだろうと思ったが、松茸自体が「もう採れなくなったのだ」と言う。
 松茸は毎年決まった場所に自生するが、その自生地のことは、「自分の息子にも教えない」ものなそうだ。
 葛巻町のその知人は、誰にもその場所を教えることなく、急病で亡くなった。
 以後、「アンドレのチン※」が家の玄関先に届かなくなった。

 毎年、この季節になると、映画館通りの寿司屋の握りと、箱入りのでっかいキノコを思い出す。
 もちろん、当時の父母とのやり取りも。