日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

霊界通信 ひとが死後に向かう三つ目の行先

◎霊界通信 ひとが死後に向かう三つ目の行先
 死んだ後に魂がどこに向かうのか。
 ひとまずこれまで判明しているのは、二通りだ。

1)自我の昇華(解体)=川を渡る
 自我自意識の紐帯を解き、感情の記憶が散り散りになる。
 例えて言えば、個々の喜怒哀楽の記憶がピンポン玉のようにまとまっているとすると、これをひとまとめにして袋に入れている姿を想像すると分かりよい。その外側に肉体という外殻があったが、それが死んで無くなることで、袋とその中の記憶玉だけになる。袋を開くと、記憶の玉がバラバラに散る。
 これを当事者的に眺めると、「川を渡る」感覚になる。
 「三途の川を渡る」と欲望や苦痛から解放され、解脱の域に達するが、これは自我・自意識を解放することだ。
 「川を渡る」のは主観的認識で、「そのように見るから見える」側面があり、人や文化的背景によって見え方は違う。

2)自我の保持 =峠を越える
 前項の例えを利用すれば、死んだ後に、自我の袋を開かずそのまま保つ。袋の口を縛るのは、怒りや恨み、悲しみなど負の感情だ。
 当事者的には、峠を越えて、生前と変わらぬ世界に入る。
 そこは「見たいように見える」、すなわち主観的に構成される世界で、各々が見ているものがそれぞれ異なる。
 生者のいる物質世界と重なっているが、「感情だけの存在」、すなわち幽霊になる。

 ここまでは分かっているが、どうもそれだけではないらしい。


3)無限の闇 
 おそらく2)の一部か分離したものだと思う。
 幾年か前に、「八か月間、毎日同じ夢を観た」時期がある。眠りにつくごとに、必ず同じ場所に行く。
 夢の中で目覚めると、私は必ず和風旅館の中にいる。
 座敷が幾つも連なっており、それらを仕切るのは襖。縁側廊下があり早く移動するには、その廊下を使う。
 最初の数か月間は、いつも同じ状況で、部屋のひとつの中で座卓を前に座っている。周囲にも八つくらいの座卓があり、各々に男女が座り酒を飲んでいる。
 すると、突然、廊下の方からミリミリと小さな音が響く。人の足が床を踏む音で、まだ十㍍以上離れている感じの音だ。 
 だが、周囲の客たちが一斉に立ち上がり、襖を開いてその部屋から出て行く。
 客の一人に「何が起きたのか」と尋ねると、「あの女が来た。もし捕まると怖ろしい目に逢わされるから、すぐに逃げろ」と答えた。
 そこで私も隣の部屋に逃れて、さらに隣の部屋と移って行く。
 夢の始まりはいつもここで、旅館の中を逃げ惑う。

 同じ夢を観るが、繰り返しているうちに少しずつ変化が生まれる。経験を重ねて、行動が迅速になるためだ。
 ぎりぎりまで待ち、障子の影に「女」が立つのを見ていた李、その障子が開いて、女が顔を出すところまで確かめたりした。
 「女」はアラ四十くらいで、丸髷を結い、縞紬の着物を着ている。ごく普通の顔で、普通の女なのだが、気配が悍ましい。
 「けしてこの世の者ではない」という禍々しさがある。これは過去に会った「お迎え」と同じ佇まいだ。
 女がいつも縞紬を着ているので、私はこの女のことを「縞女」と呼んだ。この夢の話は同時進行的にブログやSNSに書いた。

 この夢を繰り返す度に、周囲の状況が見えて来たのだが、旅館の部屋は数え切れぬほど沢山あった。襖を開けて隣の部屋に移るが、開けても開けても別の部屋がある。
 縁側廊下の方は、何キロも続くように見えるほど先が長い。
 逃げ慣れると、「この廊下の方が速く走れる」と気づき、私だけ廊下に出るようになった。三つくらいの部屋に移ってから、そこで廊下に出ると、縞女の来る廊下と別の廊下に出る。

 ようやくここからが本題だ。
 この夢を観始めてから数か月が経った頃、縁側廊下を逃げ延びて、ふと「この旅館の外はどうなっているのか」と考えた。
 縞女の気配が無くなったので、ひと安心した直後のことだが、縁側廊下の外側にある硝子戸を開けて、外を眺めた。
 外に出られるのであれば、より逃げるのが楽だし、自分の家に帰れるかもしれん。
 だが、旅館の外は漆黒の闇で、文字通り内も無かった。
 足を踏み出せば、その無限の闇の中に落ちる。たぶん、永遠に落ち続ける。星と星との間くらい何もない。
 よくよく観察すると、この旅館は私の記憶の断片から作り上げられたものだ。縁側廊下は大学生の時まで住んでいた実家だし、座敷部屋は母の生家の築百五十年の休暇のもの。
 暗黒の闇の中に、私の記憶で作られた旅館が「完結した世界」として存在していた。

 今も時々、この時の闇を追体験するが、あれは死後に訪れる場所で、三つ目のあの世ではないかと思う。
 平易な言い方では、三途の川を越えると「霊界」で、死出の山路(峠)を越えると「幽界」に至る。幽界では他の幽霊と同居しているが、他者との接点は当事者が作っている。他との接点を持たぬ幽霊は、無限の闇に落ちると思う。

 ちなみに、縞女は大正から昭和初期に生きた女性で、神楽坂の芸妓だった。金持ちの妾になったのだが、後に殺され流された。
 その恨みがあり、誰彼構わず自分と同じ目に遭わせようという念い取りつかれた。水辺でひとの足を引っ張るのは、こういう類の者だ。
 時々、この女性のためにお焼香をするが、それもあってか、直接、姿を現したことはない。私は理解者で、心情を汲む者だから夢に出て、語り掛けるだけだ。
 夢の話だが、想像や妄想ではなく必ず現実と結び付いている。

 

 眼疾があり、文字がよく読めぬので、誤変換があると思います。不首尾は