◎病棟日誌R061015 心臓の治療後の心得
朝、家人を駅まで送って行き、その足で当方は病院に行く。この日は助手席の家人が鼻歌を歌っていた。
「君はファンキーモンキーベイベー」
ぷっと吹いた。
「おめー。外人なのにその曲を知っているのか。それが流行っていた頃に小学校に入っていたのか?そもそも日本にはいなかった筈だが」
やはり家人は「どこかで聞いた」程度らしい。知っているのはそのフレーズだけで、あとは出鱈目だった。
病棟の入り口で靴を履き替え、蓋を閉めると、隣の靴入れの名前のところに紙が貼ってあった。
新しい患者が入ったらしい。
透析対応病院は数が少なく、自宅の近くに探すのは難しいから、どこも常に定員一杯だ。新規に入棟するには、誰かが出なければならない。行先は「川」の向こう。
また誰か去ったのだな。
下駄箱全体を見回すと、あと二つに紙が貼ってあった。
「そう言えばAさんの姿が見えないな」
Aさん(女性)はふた月前に大動脈を人工血管に取り換えた。過去にバイパス手術を含め外科治療を3回くらい経験しているから、自分でも「私はもう人造人間だわ」と笑っていた。
周りの患者は陰でAさんのことを「不死身のオバサン」と呼んでいた。普通の人なら3回はお陀仏になっている。
早朝のうちに入院病棟から車椅子で運ばれ、病棟の入り口で扉が開くのをじっと待っていたが、今はその姿がない。
「ついに」と思い、すぐにAさんの下駄箱を探したが、まだ名前があった。
雰囲気はよくないが、まだ確定はしていない模様だ。
「早く退院したい」「自分の車で通院したい」と言っていたが、まさか動こうとしたのか。
心臓に手を入れた時に、絶対に守るべきは、「一定期間安静を保つ」ことだ。軽微な治療なら、カテーテルを挿入して血管内を掃除するが、1、2か所なら入院は数日だ。
術後は血流が良くなるから、すごく体が楽になる。
バイパス手術など開胸手術の場合は、ひと月以上の入院になるが、術後はものすごく調子が良くなる。びっくりするほどの変化だ。
いずれの場合もガラリ一変で「良くなった」と自覚する。
これが罠だ。
心臓の治療を受けた患者が心掛けるべきは、まずはひと月の安静だ。軽微なようでも仕事はなるべく避ける。当人の自覚以上に負荷がかかる。可能ならスッパリ職場から離れていた方が良い。
ひと月後からはデスクワークくらいは可能だが、六分程度にとどめた方がよい。体を使うのは厳禁だ。肉体労働もスポーツもだめだ。
体はバランスの上に成り立っており、変化が定着しそれに慣れるまでそれくらい(三か月)かかる。
心臓病で亡くなる人は、発症から治療に入るまで遅れた場合と、術後二三か月後に突然死するケースの二通り。
当方の親戚や知人では、後者の方が多い。
血流が良くなることで、身体の隅々まで「冴える」実感がある。だが、自意識より許容範囲が狭いので、線を踏み越えて心不全に。血栓で心筋梗塞を起こした場合は、治療後すぐにまた血だまりが出来やすい。
三か月休むと生活に不安を感じる人がいると思うが、人生を失うよりはまし。金はどうにかなるが、命の補填は出来ない。
快気祝いを開くのは三か月以上経過してからで、常識的には退院半年後だ。
こういうのは、自分や周囲の経験者を直に見ぬと分からない。難点はそれが「本当だ」と分かった時には、取り返しがつかなくなっていることだ。
「ひと月は寝たり起きたり。三か月間はなるべく安静」が鉄則だ。体は元気になった気がしているので、何もしないのは苦痛に感じるが、しくじれば死ぬ。