◎病棟日誌 R061029「人生のご褒美」
朝、家族を駅まで送りに行くべく腰を上げようとした。
左手を床について「イテテテ」(※十肩)。
立ち上がろうとして「イテテテ」(坐骨神経痛)。
歩き出そうとして「イテテテ」(足指の動脈硬化)。
思わず、「まったく。痛いところだらけだわ」と愚痴をこぼす。
それを聞いた家人がすかさず答えた。
「私もそう。でもこういうのは人生のご褒美だと思うようにしている」
「人生のご褒美」か。何事も「ものは考え様」ということを言っているわけだな。
それで苦痛が苦痛でなくなることもある。
ここで頭の中で思考がくるくると回る。
若い頃に年上の女性と交流があったが、その女性が言っていた。
「今の苦しみに耐えられないと思うなら、その日の夜を越すのも難しく思える。でも、こういうことは誰の身にも起きている、ごく普通のことだと思いなせば、案外乗り越えられるものよ」
人生の折々にこの言葉を思い出す。
上手く行かず挫折感に苛まれている時や、自他に対して怒りを覚えた時とかだ。
「俺様にはこれくらいはどってことねえや」
さっきまでの絶望感はどこへやら。
その年上の女性は彼女ではなく、姉のように接してくれた知人だ。知り合ったきっかけは忘れたが、時々会ってあれこれ話をした。苦労人で、その頃も人間関係で揉めていたと思う。
ちなみに、数多の苦労を経験した人は、多く物腰が柔らかく穏やかになるが、それは「身の処し方」に長けるという意味で、心中が穏やかになるわけではない。物分かりが良くなるわけでもない。苦労を経験した者の心根は外見とは反比例に荒んで行く。性格は苦労の数だけ曲がる。
ただ怨念を顔に出さぬようになるだけ。
ここまでが十秒で考えたことだ。
ここで妄想家の当方は得意の妄想を飛ばした。
業績を残し、晴れやかな気持ちで扉を開く。
すると、部屋の中で待っていたのは、革のボンデ―ジをまとい、仮面をつけた女性だ。
女性は鞭を鳴らして言い付ける。
「さあ四つん這いになりな。ご褒美をあげるから」
だめじゃんけ。
ご褒美が「苦痛」で喜ぶ者がいないわけではないが、ごく一部だわ。当方的にも、しばかれるより、しばく方が好みだろうな。
教訓の二つ目は「流れに任せて言っていると、文脈がすらすらと流れる」だ。
ネットによく「論破屋」が出て来るが、よく検証すると、全然論理が成り立っていなかったりする。その場の雰囲気に合わせて話を流しているだけ。ま、これが詐欺師の手法だ。
針の穴を連続して通すジェットコ-スターみたいな論理だが、スピード感があれば、聞き手の方が簡単に騙される。
さて、病院のロビーに行き病棟のドアが開くのを待っていると、少し離れたところで、同じ病棟の患者たちが集まっていた。
いつも8時まで患者たちはロビーで話をしているが、当方は「あらゆる社交をしない」方針なので、傍に行ったことは無い。
だが、この日はその患者たちの声が大きかったので、十数㍍離れたところにいる当方まで話が聞こえて来た。
どうやら「誰それが亡くなった」という内容だった。
「あの人も循環器で」
「別の人も同じ病気で」
何となく、「Aさんのことだ」と気が付いた。
Aさんは57歳くらいの女性患者で、当方と同じ年に入棟した。
やはり死んじゃったんだな。
Aさんは頸と心臓の間の動脈を取り換えた手術を受けたのだが、術後ひと月半くらいで容態が悪くなった。
「心臓治療は術後三か月が要注意」だと言われるが、その通りだった。
車椅子で病棟に来る時に「早く自分の足で歩きたい」と言っていたので、「まだくたばる顔をしていないから大丈夫」だと励まして来たのだったが。
まだ確定はしていないが、気配は良くない。いずれにせよAさんでなければ、病棟の別の患者だ。
最後の抜針担当はエリカちゃんだった。
鉄柵が足元に置いてあったが、ベッド脇に来る時にそれを倒し、当方の足に当たった。
「スイマセン。大丈夫ですか。私はお腹が出ているから引っ掛かっちゃいました」
エリカちゃんはややぽっちゃり型体型だ。
この時の当方はきちんと頭が働いていた。
「いやここは柱の隣で隙間が狭いから通り難いよね。俺もよく引っ掛かる」
女子がへりくだっているのには、同意のそぶりを塵ほども見せてはならないわけざんす。とりわけ体型など容姿、年齢とか。
エリカちゃんは自分のぽっちゃりを笑って言えるから、性格が明るいのだか、女子には気を許したらダメだ。うっかり心に爪を立てかねない。
連日、体のどこかが痛むので、鎮痛剤を飲み続けている。
まったく。毎日「ご褒美」だらけだわ。