日刊早坂ノボル新聞

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◎霊界通信 R061106 肩に乗っていた

霊界通信 R061106 肩に乗っていた
 先日、高麗神社に参拝したら坐骨神経痛の症状が軽くなった。
 「やはり身体要因ばかりではない」と考え、この日は最寄りの八幡神社に参拝した。数年前までは1年に150日は参詣参拝していたが、この1年くらいは車の状態が悪かったこともあり怠っていた。

 境内に入ると、何となく「150日目にしてようやく身内に入れて貰えた」気がした。気分的な話だが、150回くらい参拝したが、これまではただの訪問客の扱いだった。お寺で言う「檀家」みたいな立場に入れて貰えるらしい。

 セルフチェックをすると、不鮮明だが「肩に少年が乗っている」ように見える。
 現状の左肩痛と一致するので、「なるほど」と納得した。
 こういうのが無くなってくれると、平穏に生きられるのだが。

 ただ、先ほど発見したが、1枚の画像には私の右足の傍に「着物を着た子ども」がいると思う。
 これがあの「お稚児さま」だったら、嬉しいと思う。
 「お稚児さま」は幸運の象徴だ。味方が一人いてくれると助かる。

 画像の順番は逆さまになっているが、帰り際に手水場の前を通ったら、閃きがあり、そこで写真を撮った。
 この日は曇りで直射日光は差していないのだが、柱にオレンジ色の帯が出ていた。日光の反射光でないなら、お知らせだ。
 こういう時には、必ず「傍に眼や煙、人影などが出ている」ので、周囲を見ると、すぐ傍に眼が開いていた。
 女性の右眼だと思う。
 当初はたまたま期の葉の隙間がそう見えたのかと思ったが、眼力があり女の目だとも分かる。

 このところ、心身、社会性のどの領域でも不都合が起きていたが、どうやら理由があったようだ。
 この時の私はサングラスをしていたが、裸眼の顔が重なっていた。これは私の顔ではない。たかっているヤツの一人だと思う。
 数年前に稲荷眷属の障りを得た頃を思い出す。
 ま、遠ざかることはあっても、消えていなくなることは無いので、またアイツが戻って来たかもしれん。何せもう死んでいるので殺すことも滅ぼすことも出来ない。出来るのは遠ざけることだけ。
 これがただの気のせいだったら、どんなにかよいだろう。持って生まれた宿命を感じる。

追記)カメラの上に出ているのは男ではなく女性の顔だ。この時、当方はサングラスをかけていたが、この顔は裸眼だ。そもそも顔の位置が違う。
 冒頭の「眼」の女なのかもしれん。また本格的な障りが来ているかもしれぬ。

 今は不都合な事態が次々に起きる。

 原因を特定しないと対処のしようがなく、かなり厄介だ。

 もしかすると、二か月前のPCの不調から一連の流れなのかも。