日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎霊界通信 「オーロラ」

11月7日のオレンジ色の帯と過去の事例(一関)

霊界通信 「オーロラ」
 これまで特に名称を付けておらず「オレンジ色の煙・光の帯」と呼んで来たが、長いので「オーロラ」と呼ぶことにする。見た目がオーロラに似ている。

 まず除外用件からだが、直射日光が当たる場所では、反射で同じようなものが見えることが普通にある。よって「直射日光の無い時に見えた場合」にそれと判断出来る。
 大半は日光の照り返し。
 また、煙草の煙などに似ている気もするが、それとは違い滑らかな「帯」になっている。

 最初に撮影したのは、平成21年の中尊寺
 古い旅館に泊まったのだが、部屋の様子を撮影するとこれが写っていた。
 この夜は「入り口に誰かが立っている」気がして、結局、朝まで一睡も出来ず起きていた。
 中尊寺では、煙玉が出まくりで、各所で写った。
 雨が上がった後なので、自然現象と見分けがつかぬが、十六七年経ったら、白い玉が薄くなりほとんど消失しかかっている。
 自然現象なら画像が変化しないので、後になりそうではなかったと分かる。
 白山神社の鳥居の前に出た巨大な煙玉は、色やかたちが変わっていない。直径五六十センチ。

 最初の部屋の中の画像に鏡が見えているが、これに黒い人影が映っていた。たぶん、中尊寺を回っている時に、後ろをずっとついて来たと思う。
 これも時間の経過と共に判別しにくくなった。
 ま、世間の怪談と違い、滅多に鏡には映らぬので、気が付いたのは十年くらい後になってからだ。最初はもっとはっきり映っていた筈だ。

 煙玉は「ほぼ自然現象」だが、「(日光の無い条件での)オーロラ」は、疑いなく霊的現象だ。
 起きぬべき場所にこれが出たら、傍に幽霊が居る。
 周囲十メートルの範囲に、「眼」「人影」「煙」が必ず出ている。この中で最も多いのは「眼」だ。
 意図や意思があるので、出て来たことにははっきりした理由がある。この場合はきちんと向き合う必要がある。
 私は。いざこれらしきものが出たら、すぐに周囲を点検して、「眼」が開いていないかを見る。物のかたちに重なっていることが多く判別し難いが、「眼は心の窓」で心情や意図が現れやすい。それを参考に理由を読み解く。

 

追記)この記事をセットしている時に、急に左肩が重くなった。すぐに酷くなり、ぎゅうぎゅう締められる。

 「男児がいる」と分かったので、その子がいるという前提で話をした。

 「俺を苦しめても何も変わらない。俺にはお前の感じている苦痛の理由が分からないし、何も出来ないからだ。こういうのは止めてくれ」

 これからお焼香を始めたが、二本目できれいさっぱり肩の痛みや重さが取れた。

慰めたり、時には嗜めることで、パッと状況が変わることがある。

 理由は不確実で、その男児の存在も不確かだが、そういうのはどうでもよい。

 「慰めたり窘めたりする」ことが、相手に通用すればそれで充分だ。

 いつも思うが、「車は運転が出来ればそれでよい」。構造を説明出来ず、あるいは組み立てられずとも、運転が出来ればそれを役立てることが出来る。

 世間一般で行われるのは、それとは真逆のことで、車の構造を滔々と語ろうとする者が多い。だが、そんなのは不確実で、現実には「自分自身では心霊写真ですら一枚も撮れぬ」者ばかりだ。運転出来ぬのに構造を語る。

 前提として「幽霊は殆ど可視域の外にいる」(検知できるのはごくまれ)。