日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎自分のことをネットで引いた

自分のことをネットで引いた
 たぶん、腹が立つだろうから、原則、自分の検索などやらないのだが、たまたま偶然出たので、上の数行だけ見た。
 一体誰が書くのだろう。ウィキペディアのはしりはたぶん、当時の社員が「これも営業だ」と思って記したと思う。あとは誰か知らん人が加筆した。

 ウィキには「最初はノボルを筆名にしていたが200※頃から昇龍に替えた」とある。
 ええええ。今も昔も「のぼる」で、明治以前が「昇龍(のぼる)」、現代の話が「ノボル」なのですが。
 ま、売れ筋の書き手ではないし、中央には興味が無く、一切接点を持たなかったから、扱いなどどうでもよい話だ。
 盛岡タイムス魂は「地方文化の礎を自分たちの手で築く」ということだ。こういうのはきっと一般には理解出来ないのだろうな。

 子どもの頃に(たぶん小1くらい)、家族親族で三陸の海に釣りに行った。その時に、早坂高原を上る途中で、一台の車がオーバーヒートし、家族で後ろを押して峠を越えた。
 その後、生まれて初めて小本海岸の海を見たが、その時の新鮮な気持ちを忘れぬために、この筆名にした。
 よって、ホームグランドは早坂峠だ。郷里を訪れた時には、必ずこの峠に行き、半日過ごした。
 下の名をカタカナにしたのは、「ビーバップ」の頃の「仲村トオル」さんの語感が良かったからこれを真似たもの。

 入退院を繰り返すようになり、ベッドでただ過ごすのはつらい。この時に、人物のキャラを思い描き、物語を創作することで凌いだ。これは長患いの母から教わった振る舞いだ。
 母は生きる気持ちを繋ぐために、短歌や俳句を書いたり絵を描いたりしていた。
 「ちゃんと習えば?」と問うと、「自分なりにでいいんだよ」との答えだった。自己流の素人作品なのだが、たまにドキッとする作品がある。叔母の理髪店に絵が飾ってあるが、それを見る度に「何かある」と感じるが、叔母もそう思うそうだ。
 誰かの心を打つのは「テクニック」ではないということ。
 上手く説明出来ぬが「何かある」のだ。何かしらの接点を持つ者にはそう感じられる。
 あの絵は息子に譲って欲しいが、愛でて貰っているので言い出せない。

 当方は書籍が「売れた」ことが一度もないが、毎年、幾人かの読者が当方の実家を探し当て訪問した。ノボル作品の文脈から居住地を探し当てるのだから驚かされる。
 チャイムを鳴らし、「ここはご自宅ですか」と訊ねる。
 もちろん、当方はもはやそこには住んでいない。
 母はそういう人を中に入れ、お茶を出してもてなした。
 一年に三人か四人はそういう訪問客があったそうだ。

 実際、当方のコアな読者は200人くらいではないかと思う。
 だが、その200人の心を掻き回せていたら、書き手としてはそれで充分だ。
 その200人の人生を変えてやろうと思う。
 その人たちのために これから本格的に再起する。

 自分のことをネットで一行だけ目にして、またやり直す気持ちになった。道端に倒れて死ぬまでは、歩き続けるべきだと思う。