日刊早坂ノボル新聞

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◎霊界通信 R061118 前が見えぬ者は虎の檻に平気で入る

霊界通信 R061118 前が見えぬ者は虎の檻に平気で入る
 昨夜かなり遅くなってから、家人がやって来て「調子が悪くなったから明日の予定はキャンセルね」と伝えた。
 日曜は観音院と新蕎麦、月曜は日帰り温泉のリクエストだったが、温泉はパスとのこと。
 「観音さまの門を潜ったら、首回りが苦しくなり、今も肩が重い」
 はあ、なるほど。
 「そりゃ幽霊だわ。神社の鳥居や寺社の山門の周りには幽霊が沢山いる。参詣参拝のつもりで来たが中には入れずそのまま留まっているのがいるんだよ。そういうのが参拝客の背後に立ってのしかかる」
 ようやく家人にも説明が通じる。

 昔からの言い方に「森の中に音はあるか」という例えがある。
 私はあるSF作家の言い回しでこれを知った。
 「太古の昔。まだ動物のいない森の中で朽ち木が倒れた。この時、音はあるのか」
 聞く者がいてこそ「音」で、「耳が無いところには音は存在しない」と見ることも出来るし、「音は空気の振動だから、耳が無くとも音はある」とも言える。
 どちらかと言えば弱いのは後者で、「音」という概念は、耳があって初めて定義づけられたものだ。後出しジャンケンでは勝ったことにならない。

 これをあの世話に移すと、まったく経験のない者に「霊とはこういうもの」と説明したところで、理解出来る筈もない。
 そもそも存在していないものだからだ。
 そう言う人の否定の根拠は「死ねば終わりで幽霊など存在しない。何故なら存在しないから」というもの。(私はこれをオーツキ理論と呼んでいる。)
 「ないからいない」はただの同語反復で、何をも語っていない。否定するには、それを否定しうる別の根拠を示す必要がある。妄想はカメラには写らない。

 私が二十台の頃、叔父の家に行くと、叔父は心臓病の初期症状について事細かに語った。「前兆がこれで、この時にはこうしなくてはならない」。これが二時間三時間続く。
 だが二十台の若者には、経験が無く実感、リアリティがない。
 正直、その時間をやり過ごすのが苦痛だった。
 それから数十年が経ち、私は心筋梗塞患者の当事者になった。
 その時、叔父の言葉が役に立った。
 「時代劇では『心の臓が苦しい』と胸を押さえるが、発症は胸痛ではないよ。だから対処が遅くなる」
 私は息を吐く時に「気管支からころころと音がした」ので、心肺症状に達していると悟り、痛みが全くない状態で救急病院に行ったが、玄関から手術室に直行で運ばれた。

 以上は例え話。
 よく「肩が重くなる」と言う言い方をするが、実際には「後ろ首」でそこを掴まれる。これは実際に掴まれている。
 もっと初期的な体感症状は「蜘蛛の糸」だ。これが体にかかるほどの触感があるが、こちらはなかなかそれとは認識出来ない。

 冒頭に戻ると、ダンナに「そりゃ幽霊だよ」と言われ家人はこう反応した。
 「きっと疲れただけだと思う。明日は出掛けずに家のお風呂にゆっくり入る」
 正しい選択だ。
 正解は「まずは気分転換をする」だ。
 体を掴まれようが、背中に乗られようが、心情的に共鳴しなければ、幽霊はすぐに離れる。
 ひとは色んな振動が演奏をしている状態で、総体(オーッケストラ)として独自の曲を演奏していると思えば分かりよい。
 例えば、心臓の鼓動はパーカッションで、感情がメロディだ。
 音楽と同じように、心地良く響く時もあれば、「自分には向かぬ」と感じることもある。
 幽霊がひとに取り憑くのは日常茶飯事で、誰もが幾体かの幽霊を連れて歩いている。 

 すぐに去ることが多いのだが、居心地が良いと思えば長く留まる。

 家人のように、ゆっくり風呂に入って疲れを取るだけで、いなくなることが多い。ひとの後ろに付きまとう幽霊は、多く負の心情を抱えているが、それと似た怒りや悲しみなどを持たぬ者の傍は長く留まらない。まずは気にしないこと。
 もし居付いた場合には、癒し水を供え、丁寧にお引き取りを願う。
 それで離れなければ・・・と、段階を追って対処するのが正しい対処法だ。

 もちろん、認識・検知出来ぬのは「いない」と言う意味ではない。
 この違いは心臓病と同じように、それと検知するまで分からぬのが厄介だ。私は「ウザい」と思ったが、叔父が繰り返し話してくれたので記憶に留めていた。

 虎がどんなに危険な獣でも、鉄の檻の中に居て、その扉に鍵がかかっていれば危害を加えられることはない。
 だが、目を瞑って「虎はいない」と念じ、扉を開けて檻の中に入って行くほど愚かなことはない。
 中は暗がりで、虎がいるかどうかは分からない。
 その時に、扉を開いて中に入るのは、故意に「運に任せる」危険な行為だ。
 まずは虎がいるかどうかを確かめる。分らぬなら「いる」ことを念頭に置けばよい。あとは鍵をかけて万全を期すだけ。