日刊早坂ノボル新聞

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◎『花のごと』メモ 「天保六年の盛岡藩に起きたこと (その1)」

『花のごと』メモ 「天保六年の盛岡藩に起きたこと (その1)」
 天保三四年が大飢饉で、収量は例年の一割程度。百姓も飢えたが、年貢を回収できぬ侍はもっと困窮した。
 五年に天候が持ち直し、息を吐くことが出来たのだが、六年がまた飢饉で作物が実らなかった。
 野田通では食人事件まで起きた。
 そのままでは侍へ扶持を与えることが出来ないので、藩庁は米の代わりに札を与えることにした。
 藩庁自身が発行元になるわけには行かぬので、近江屋市左衛門に命じ、七種類の銭札を発行させることにした。
 額面は「米四斗代二貫文」「米一斗代一貫文」「米六升代三百文」「米四升代二百文」「米二升代百文」「米七合代三十二文」「米五合代二十四文」の七通りで、いずれにも七福神の絵を配置している。
 金種がまちまちなのは、米の秤量に合わせた金額ということで、勘定の基本が「米」になっている。
 そのことで、この札の発行目的が「米」温代わりに与えるものだと分かる。
 要するに、藩士たちへの俸給をこの札で払ったわけだ。
 ただ札を発行して、「これをお金として使います」と告知したところで、誰も交換したりしない。信用も利点もないからだ。
 だが、藩士に俸給として与えれば、一応「払った」というかたちになるし、それで食料を買い求めることが出来る。
 侍が「これは上の保証する銭札だからこれで払う」と言えば、町人は嫌々でも受け取らざるを得ない。
 この札の発行が、この年の十月二十七日だから、恐らくは「このままでは年を越せない」という声を受けて、当座を凌ぐためにこれを作らせた。
 米の収穫が望めぬのは七月頃には分っていただろうから、その頃には準備を始めていた筈だ。
 これがひとつ目のこの札の用途だったが、それほど切羽詰まっていたわけだ。(続く)