日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎病棟日誌R070201「盆踊りとスリラー」

病棟日誌R070201「盆踊りとスリラー」
 前のベッドに新しい患者が入った。七十台半ばで、まだ元気そう。
 「あれなら一年くらいはもつかもしれんな」
 逆に言えば、もって一年か。
 ここで周囲を見渡し、一年前のことを思い出す。
 昨年の一月に当方の周りのベッド8つに居た患者で、今残っているのは、ガラモンさんと当方の2人だけ。6人は病棟とこの世を去った。やはり、ここは文字通り終末病棟だ。
 ま、癌で死なず、循環器疾患を乗り越えられれば、大体最後はここに来て、心肺の機能不全で亡くなる。腎不全は併発病で、長生きすれば誰ももがここを通ると思った方がよい。で、ここからの余生は短いぞ。

 穿刺担当はエリカちゃんだ。酒豪なのだが、最近はあまり酒を飲まぬようにしているらしい。額の色が物語る。酒を飲む者は額の色が赤白まだらになる。
 「あまり酒を飲まなくなったんだね」
 「酔っぱらって失敗したのと、最近、太り過ぎたのでダイエットしてるんです」
 エリカちゃんはポッチャリ型でそれが似合うのだが、夏までに五キロは落とすつもりらしい。
 「でも、女子はポッチャリでもいいんだよ。男から見ると、モデル体型の女子がよく見えるのは三十台までで、四十を過ぎると少しポッチャリ女子の方がよくなる」
 「私はオジサンたちにもてたいので、少しポッチャリ路線を狙っています」
 エリカちゃんは新婚だが、もてようと思うまでなら別に構わんだろ。
 四年前から7キロ太ったので、せめて5キロは落とすつもりらしい。

 問診はオヤジ看護師のタマちゃん。
 「知り合いに趣味でダンスをしている人がいる。その人によると、関節痛を改善するには運動が必要だが、しかし、俺みたいに足に問題を抱えたっ者はジョギングが出来ない。ならダンスがいいよと言っていた」
 「確かに動かすことが必要ですね」
 「最初は盆踊りみたいな数パターンの動作で良いそうだが、腰を使う必要があるから、それが無難に出来るようになったら『スリラーを練習しろ』とのことだった」
 「マイケルですかあ。確かにあれは腰を使います」ww。
 老人会が「スリラー」を練習していて、公演を開いたニュースがあったが、あれは必要だから始めたわけなのだった。
 「俺の女房は小学校で、子どもたちと一緒にムーンウォークの練習をしているそうだから、一緒に踊るかな」
 オヤジジイが「スリラ-」を踊らされるとは。とほほ。
 しかし、股関節(坐骨神経痛)は耐えられぬほどの痛みがあり、放置すると歩けなくなるそうだ。実際、もうまともに歩けない。スリラーでも何でもやらねば。

 治療終りに、アラ40女性患者のIさんのところに行き、お稚児さまのお守りを渡した。
 「一年前に温泉で座敷童に会った。写真を撮影したら、きちんと写った。いつもこれを持って、信じれば、きっと助けてくれる」
 この時の表情で「信じる」スイッチを持っているかどうかが分かる。この子は「持っている」のが歴然だから、何かしらプラスの効果が出るかもしれん。他の人にとっては、普通の神社で飼うお守りと同じで気休めだ。
 この時のIさんは顔色が悪く、土気色だった。腎不全患者は長期に渡ると、次第に肌が茶色になって行く。
 当方もこのIさんも「そんなに遠くない」と実感した。

 この時に思い浮かべていたのは、自分が「右手で子どもの手を握っている」イメージだ。声には出せぬので、頭の中でその子に語った。
 「四月までこの人を助けてあげて。でも後で必ず戻って来てくれよ」
 春を越せれば、きっとこの人は半年一年生きていられる。

 Iさんに「元気を出して行こう」と告げ、病棟を出た。
 車に乗ろうとした時に、鍵に点けていたお稚児さまキーホルダーが壊れていることに気付いた。
 「ありゃ。ユキちゃんがいない」
 実際、この子のことをIさんに預けたばかりではあったが。
 足元を見ると、カンマンの梵字が落ちていた。
 「それなら、前回この車に乗った時に落ちていたということだ」
 何時なんだろうな。
 答えは簡単だった。それは「神社に参拝した時」だ。
 で、その時に当方は「Iさんが不憫だから助けてあげてくれ」と祈願したのだった。
 これでえらく納得した。キーホルダーの写真と一緒に「ユキちゃん」は出掛けた。

 他の人にとっては、こんなのはただの偶然で妄想に過ぎない。
 実際その通りだと思う。殆どの人にとっては、想像や妄想が現実とは結び付かないからだ。
 (ここでCDスロットが勝手に開閉した。)
 「でも、俺の場合は思い描いたことの多くが現実になるんだよな」
 「信じる」ことは「願う」こととは違う。言葉で説明出来ぬが、眼に見えぬ筈のものを観ているから、観ようとしているから「イメージを現実のこととして捉える」姿勢が出来ている。
 そのことの証明は「当方がまだ生きている」ってことだ。
 「お迎え」に直接会って、その後一年以上生き延びた者はいない。当方はレアなケースだ。今のところ一人だけしかいない。

 だが、「お迎え」に会うこと自体が少数派らしい。
 「お迎え」は人をあの世に誘う怖ろしい存在だが、同時に幸運な存在でもある。死期を悟るだけでなく、その死期には交渉の余地があるからだ。
 老境に達し、体の機能が崩壊すると、もはや人間の姿をしたお迎えは現れない。ただ黒い人影(黒いひと)が寄り添うだけ。
 コイツが寄り添えばもはや残りは数日だ。病棟では幾人もその姿を見ている。

 ここで我に返る。
 「もしお稚児さまが俺の許を離れたのなら、これからふた月の間、俺は無防備な状態だな」
 当方の方がヤバいかもしれん。
 ま、当方にはもう一人「花ちゃん」がいるわけだが、「花ちゃん」は善意だけではなく怒りも抱えているから、心に影響を受けるかもしれん。
 ま、その時は「花ちゃん」と周囲の者に嘘つき政治家の許に行って貰おうと思う。たぶん、屍の山が築かれる。