◎病棟日誌(兼霊界通信)R070206「答に行き着く」
◎病棟日誌(兼霊界通信)R070206「答に行き着く」
このひと月くらい、病棟には空きベッドがあちこちにあったが、この日に総て埋まった。
向かい側のベッドには六十代後半くらいの男性が入った。
見た感じでは、やはり心疾患経由のよう。やはり薬剤がダメージを与える。父も2回施術を受け、腎臓の機能が低下したが、透析治療ぎりぎりのところで踏み止まっていた。
大体、3回治療を受けたら、いずれは慢性腎不全になると思って置いた方がよい。数値が下がり始めるともはや止められぬが、術後すぐに腎臓をいたわる生活を送れば、腎機能の破綻を遅らせられる(かもしれん)。ま、いつも書くように、癌で死なず、循環器で死ななかったら、概ね腎不全になり、最後は心肺の機能不全で亡くなる。
大雑把に言えば、65歳までに同時出生集団(同級生)が亡くなるのは7、8%に過ぎぬが、その後の十年間で45%くらいに達する。実感としては「毎年バタバタと死んでいく」感じだろう。どんなかたちであれ、ひとは必ず死ぬ。
ガラモンさんに会うと、以前からは想像できぬほど痩せていた。脚が鶏の脚みたい。
「がっつり食わなくちゃダメだよ」と声を掛けた。
当方は数年前に体調を崩し12キロ痩せたが、「ここの患者は痩せたらダメだ」と気付き、間食に菓子パンを無理やり食べて5キロ戻した。
ベッドで寝ている時に、一年前の画像のことを思い浮かべた。
当方を後方から羽交い絞めにして、腕が曲がるくらい掴まっていたのは誰なのか。
すぐ後ろには3体くらいいて、分かりやすいのは「丸髷の女」だ。当方の胴を締めている中心はこの女で、たぶん、コイツが「縞女」だろう。
すぐ横には「防空頭巾を被った女」がいて、何かを伝えようとしている。言葉は分からぬのだが、たぶん、「助けて」ということだと思う。幽界は死ぬ覚悟の出来ていない者にはつらい所だ。
後方にはユキちゃん花ちゃんとは別の子どもがいる感じがある。
このうち、もっとも強く関わろうとしているのは、やはり「丸髷の女」だ。
左後ろ側から、がっしりと掴まっている。
ここで気付く。
「関節痛は全部が左側だ」
肩も股関節も、膝も総て左側で、右は足指の傷だけ。
もしかして、この女が苦痛を助長してないか?
「でもなんでそんなことをする?」
仮に丸髷が「縞女」だとすると、この女はかつて、当方に自分人生の苦痛を半年以上に渡り淡々と報せた。
眠る度に、この女が現れ、自分が受けた苦痛を当方に見せる。
「ご供養を施し、解消されたと思ったが」
さらにここで気付く。
「そう言えば、もう長い間、この女の供養をしていなかったな」
何せ次から次へと新しいヤツが現れる。
「助けて」「助けて」と抱き付くわけだが、中にはバッチリと証拠を残す者も多い。
「なるほど。自分のことを思い出して、自分のことを見てと伝えたいわけだ」
この想像に行き着くと、その瞬間、体の中を風が吹き渡るような気がした。
当方の関節痛が悪化したのは、それを利用して「自分に気付いてくれ」と叫ぶ者がいたせいなのかもしれん。
すると、もう一度この女に向き合えば、少しは楽になるかもしれん。
既にトシだし、障害者だから、完治は有り得ぬのだが、少し遅らせたり、幾らか改善され、杖なしで歩けるようなら助かる。
そう考えると、ふっと楽になった。
治療が終わり、立ち上がって歩こうとすると、とりあえず歩ける。治療直後が一番キツく、足を前に出すごとに呻くほどだから、違いがよく分かる。幾らか痛みはあるが、歩行が困難になるほどではない。
こういうのは、当方には「信じるこころ」があるからだと思う。実際に幽霊女が働きかけていたのか、あるいは当方の思い込みで生まれたのか、原因はあまり重要ではない。
結果的に苦痛が軽減され、生活と人生が改善されればそれでよいのだ。
いつもいう教訓はこれ。
「車を運転するのに、エンジンの構造を詳細に理解する必要はない。車体を自分で組み立てる必要もない。上手に運転出来れば、それだけで役に立つ」
あの世については、真逆のことが言われ、エンジンを語る者がやたら多い。そんなのは生きているうちには確かめられんだろ。
病棟を出ようとしたところで、アラ40女子患者Iさんに会った。前々回にお稚児さまのキーホルダーを渡したが、そのお礼を言われた。
「これを※※さんだと思って持ってます」
そこで「俺はいつも一緒にいるんだよ」と答えた。
これは「心を配っている」という意味だ。
だが、すぐに「この会話は外の人が効けば、男女間の話に聞こえるよな」と我に返った。
もちろん、当方自身が既に半ば棺桶に入っている状態だから、夢も欲も殆どない。
出口に歩きながら、「イメージトレーニングの方法としてはIさんのは正解だろうな」と考えた。
当方も、時々、右手で「お稚児さま」の手を握っていることをイメージして、言葉に出して話し掛ける。
「信じる」というのは、イメージを実体と見なすことから始まる。(度を越すと「イカレたひと」になるから場を弁える必要がある。)
当方が近しく感じるようでは、Iさんもかなり厳しい状態だ。
死線が近くなると、当方を思い出す人が割合いる。
思わず「なら、俺はもうもはや死神の域だわ」と笑った。
足腰の調子は悪くなく、普通に歩いて帰れた。
これが数日でも続いてくれると有難い。
ま、当方にしがみつくのは「縞女」一人だけじゃないわけで。