日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎霊界通信 R070210「死にたくなったので」

◎霊界通信 R070210「死にたくなったので」
 詐欺師が最初に騙すのは自分自身だ。
 自分の吐いた嘘を「真実だ」と信じ込む。自分の言葉を信じられぬ者は他者を信じさせることなど出来ない。だから詐欺師は自分尾考えが「正しい」と思ってやっている。

 自身の欲望や目論見などは、頭の隅に置くばかりで、普段は考えぬように装っているから、傍目ではまともな人のように見える。だが、それが詐欺師だ。
 そういう者が永田町界隈に多過ぎるので、先日、あの世の「因果応報グループ」に、人類代表として渡航許可を出した。
 「邪な心を見付けたら好きにして良い」
 この流れだと、呪詛にはならず、私に跳ね返って来ない筈だ。
 呪詛にならぬ懲罰の方法は、あの世解明に関わる考究テーマのひとつになっている。言わば応用編だ。

 だが、やはり呪詛的な性質を持つようで、心に影響を与えるようだ。あれ以後、理由なく「もう生きていたくない」「何もかもが嫌になった」みたいな考えに取りつかれる。
 そこで、幾らかでも肩から下ろして置くべく、高麗神社に参拝することにした。
 この神社も世間的に言えば「スポット」の一つだ。
 ま、四五年前のような「撮影する度に何かが写る」状態ではなくなったが、これはTPOが変わったためだ。
 神殿に向かって左手には、頂きに水天宮を擁する小山があるが、この山の樹木の背丈が伸びて、午後に日光が差さなくなった。日の光が差すのは午前中だけで、午前中の角度では、あまり良くガラス戸に映らない。

 神殿の前に着いた時には、ちょうど参拝客の切れ目。
 その場にいたのは私と家人だけだった、
 ファインダを除くと、その時すでに景色がグネグネと曲がって見えたので、「異変が起きている」ことが分かった。
 分かりよいのは二枚目で、右の窓の景色は遠近法がデタラメな状態になっている。雑木林があるのは、右手の建物の八十㍍は先だ。
 素性の宜しくない者の姿がチラホラと見える。
 分かりよいものについては、白線でアウトラインをなぞってある。コテコテの悪縁で額に女を掲げているところを見ると、大関級の魔物だと思う。アモンの仲間かアモンが姿を変えた者だ。

 左側の私自身に眼を転じると、左肩からダラダラと液体のような白い何かが垂れている。
 実体化していないが、これは女だ。
 直接触られているので、こういうのはすぐに分かる。
 前回は私の関節痛を悪化させている女に対し、それを『縞女』と想定して癒す約束をしたのだが、別の者だったらしい。
 そこで「ここの霊気の流れに沿って先に進めば、案外楽に執着を解放出来るよ」と助言した。 

 位置を変えて、再度撮影したのが「四枚目」だが、なるほど、これが「神霊体」だと示す画像になった。
 私の周りには、煙、流星のような光、霊体が飛び交っている。
 これでは、可視域の広い者が見れば、ひと目で「普通ではない」と見取ると思う。
 だからと言って何も良いことは無く、幽霊がやたら寄り憑くので煩わしい。コントロールできる訳でもないから迷惑なだけ。
 女児の存在を確信したので、気が楽になった。
 悪縁を呼ぶ行為をしたので、ひとつ間違えると、「あの世行きになる可能性もある」と思っていたが、女児がいるなら、ま、恐らく大丈夫。

 私はこの世とあの世の境界線を跨いで立っている。これは一度心停止した時から変わらないと思う。
 あの世(幽界)は「思い描いたものが現実となって現れる世界」だ。アモン一派が降臨したとなると、「因果応報」はこの世にいるうちに具現化されるかもしれん。
 ちなみに、あの世の最大の罪は欺瞞で、永田町界隈の人たちは死後は必ず幽界を彷徨うことになる。
 「自分が正しいと思うことが、果たして本当に正しいことか」を時々振り返る姿勢が大切だ。
 私らは「よく味わえ」ということだけ。

 

 ちなみに、最後の画像三枚はオマケで、世間がよく「心霊写真」と呼ぶものだ。絵面は結構気持ち悪いが、それだけ。
 ガラス窓に参拝客の姿が影となって映っているのだが、男性の影は女性の前に隠れて見えない。左の肩から横腹のシルエットだけが見える。
 だが、その男性の肩口に、そこにはいない筈の高齢男性の顔が映っている。
 特に問題はなく、こういうのは誰の後ろにも何体かいる。
 男性の顔を正面から見ぬとよく分からぬが、高齢男性はこの男性に近しい者で、何かを案じて見守っているような印象だ。
 直接触れてみれば、詳細が分かると思うが、他人の因縁や宿縁を引き受けるつもりは全くなし。
 己の生き方死に方は、自分自身で見極めるべきだ。
 耳を欹て、瞼を開けば、自ずから進む道は見えて来る。

 帰路に鳥居を潜った時に思わず呟いた。
 「しまった。せめて来週にすればよかった」
 幽霊に「癒しを与える」と約束したが、その瞬間、股関節痛が軽減されていた。歩くのに苦痛を殆ど感じずに済むくらいの状態になった。
 もしかして、その「女」はこの神社で降りたのかもしれん。
 鳥居を出た瞬間に、関節痛がぶり返して、足を引きずって歩く有り様に戻ってしまった。
 「これが私という障害者のあるべき姿で、あの女に支えられていたのかもしれん」
 なら、あと一週間くらいの間、鎮痛剤の要らぬ生活を味わえば良かった。

 

追記)気を付けるべき点は、景色の歪み(光の進行)、雷光のような光の筋、煙や霧など。人の姿を探すと、頻繁に見間違える。

 その場に立てば、声やそこには無い筈の音、触感などの情報が加わる。

 幽霊がひとの身体に触れる時の感触は「蜘蛛の糸」ほどだが、これに気付けるようになると、分かりが早くなる。