日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎霊界通信R070212 「蓋が開く」

霊界通信R070212 「蓋が開く」
 先日の画像を点検すると、景色(光)の歪み方が尋常ではない。その屈折点を繋いでいくと、背後に人影がうっすらと見える。まだ実体化の中途だから、朧気だ。
 比較的見やすい者には見覚えがあるが、かつて、「お迎え」として私の目前に現れた二人組の片方によく似ている。
 その者ズバリではないだろうが、仲間だと思う。
 実体化が完了すると、かつての名優リー・バン・クリーフに似た表情になる。クリーフさんは悪役だったが、眼の奥が優しかった。だが、こっちのヤツには血の通った優しさなど微塵もない。

 少しホッとしたのは、私に関わる者ではないことだ。
 怒りに任せ、悪縁を招聘した格好になったが、ただの妄想なら問題はない。
 呪詛にかけると、その相手当人ではなく、真っ割にいる弱い者から刈り取る。年寄りや子どもがいなくなる。
 理屈は分からぬがそういう決まりになっている。もちろん、障りの本番は死後に起きる。呪詛をかけた者にも反動があり、同じことが起きる。

 だが、この感じの出方は、地獄の窯の蓋が開いた状態だと思う。得体の知れぬ者が湧き出て来る。
 前にも同じことがあり、コロナの前年くらいに盛んに有象無象の景色が現れた。
 まるでゴッホの絵のようだが、してみると、ゴッホの空気感は心象風景を描いたものではなく、観た通りをキャンバスに摸したものかもしれん。

 蓋が開き、亡者が這い出て来る時には、災害とか戦争など人死にに関係していることが多いから、注意が必要だ。
 2025年は予言の年で、「ファティマ第3の予言」を筆頭に、災禍の到来が予言されている。
 もちろん、世界最高の言われた19世紀の霊能者でも、「言い当てられたのは4割に満たない」そうなので過度な心配は不要だ。頭のどこかに入れ、ある程度「その時どうすべきか」を念頭に置くだけで良い。

 予言の本質はこう。
 空を飛ぶ鳥を見て、「あの鳥の目線で世界を見たらどんなだろう」と思う。「見てみたいな」。
 「いつか取りになって空を飛べたら」
 「人間の技術力の進歩は著しい」から、「きっと何時か人間も空を飛べるようになるだろう」と考える。
 ここまでが「想像」だ。
 少し膨らませて「人間の肩に羽が生えて空を飛べる」になると「妄想」だ。根拠が薄くなる。
 これを「必ず空を飛べるようになる」というレトリックに換えると「予言」になる。
 要は「想像」も「妄想」も「予言」も実質的に大した違いがない。
 石を投げると、いずれは落ちて何かに当たるが、たまたま目立つ物に当たったからと言って、投げた側が正しいというわけではない。たまたま当たっただけ。

 ある予言者は「双子に鳥がぶつかる」と予言した。
 21世紀になると、世人は「それはツインタワーに飛行機が衝突したことを示す」と勝手に解釈してくれる。
 当の本人が見ていたのは、あくまで「双子に鳥がぶつかる」だ。
 ここは占いと同じ審理で、相談者は占い師の言葉から「自分の欲しい言葉を探す」性癖がある。その理由は「それが欲しいから」。
 明日のことは分からぬが、心と環境に幾らかの順b意をすることは出来る。それでよい。

 横浜に、コロナ感染患者を乗せたクルーズ船が入港する数日前に、神社のガラス窓には「防護服を着た男」の姿が映った。
 当時はコロナ事態がまだ把握できていない頃だったから、それが防護服であることを認識出来るようになったのも、半年後くらいだった。
 物事は見えるようになって初めて見えるし、同時進行的には意味が分からない。
 幾らかは関係している筈だが、因果論的な説明をするには足りないと思う。

 必ず当たる予言はこう。
 「あなたは必ず死ぬ」
 「日本医大きな地震が来る」
 「戦争が起きる」
 何故なら同じことがずっと起きて来た。また起きることは想像に難くない。
 この想像・推測に「何時頃」を乗せると、たちまち「予言」に化ける。
 過去に「ファティマ」や「ババ・ヴァンガ」がいたので、泡沫霊能者がそれに乗っかって、「災禍が起きる」と予言した。
 当たらずとも「別にフツー」で、たまたま当たると「予言者」としてもてはやすバカが出るから、リスクの少ないバクチだ。

 ちなみに、「起きない」とは言っていないので念のため。
 起きるかもしれんし起きぬかもしれん。だが、いずれ必ず地震は来るし、戦争にも巻き込まれる。
 必要なのは「ソコソコの準備」ということ。

 個人的には、悪縁を呼び出すことに成功しており、その者たちが悪徳政治家たちに「怨霊の怒り」を振り下ろして欲しいと思う。
 実際に経験した者だけに、そのしんどさはよく分かる。
 それを味わえ。 

追記)ガス抜きの足しにはなったようで、「もおう生きていたくない」という気持ちが雲散霧消した。毒を吐くのも健康法の一つなのかもしれん。