日刊早坂ノボル新聞

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◎霊界通信R070216「成仏はしていない」

霊界通信R070216「成仏はしていない」
 セルフチェックのため、狭山八幡に参拝した。
 境内ではまず次のような挨拶をした。
 「生者たちの大半は眼を瞑っており、それでいて自分には見えない見えないと言います。瞼を開けば、自ずから見える筈なのに、それを拒否し、固く閉じて『自分には見えない。だから存在しない』と叫ぶのです。時々、普通の人の目に見えるところまで出て来てくれませんか。無知蒙昧の者でも分かるようにお願いします」
 実際に眼にすれば、幾人かは瞼を開く。
 死者でも生者でも、救えるのは瞼を開いた者だけだ。

 それから定位置で撮影したが、デジカメの顏認証マークがくるくると動いているから、「カメラが認識しているのだ」と知った。パパパパッと上下左右に動く。
 目視でそれと分かったのは、ガラス戸から5メートル、私から7メートルくらいのところに女児がいることだ。小学生くらいだと思うが、この子は時々、ここで見掛ける。
 何とかこの子を救いたいと思って、ここに来るわけだが、なかなか拾えぬし、今のところ道を示すことも出来ていない。

 黒玉や煙はいつも通り、頭の後ろには女がいる。
 それから神殿で日頃のお礼をした。
 私のような死に掛けが生きていられるのは、あの世の加護があるおかげだ。既に全身の組織が朽ちかかっている。

 車に向かおうとして、足を止めた。
 「いつも定位置で撮影しているが、背後に人影がぼんやりとながら映る。私の後ろにいる者は陰になるから、認識するのは難しいのではないか」
 そこで、もう一度手水場の前に戻り、左に三メートル移動して追加で撮影した。
 車内で画像を開くと、手水場の柱と樹木の前に、割と鮮明な人影が立っている。着物に羽織を着た高齢男性のよう。
 柱や樹木の前だから草叢でないことは確か。
 ま、実体化中途の幽霊だと思う。
 僧侶だったようで、下僕の者を複数従えている。
 何か説教のようなことをしていると思う。
 ま、人の姿を保ったままのあの世の者は、要は「執着を持ち、成仏はしていない」者だ。あの世(幽界)でも、生前と同じように信者を導こうとしているのだろう。もちろん、自分が信じる方向に導こうとしているので、正しい処し方ではない。
 絵空事の信仰は何の役にも立たず、ただ幽界を彷徨う者になる。
 私の周りにもざわざわと集まっているのが分かったので、すぐにその場を後にした。 

 何となく「この影は周囲の物的な条件とは合わない」と察する人が多いと思う。日差しの前に影は出来ず、事物の後ろに影は出来る。
 また、徐々に精度が上がり始めているようなので、私が生きている間に「生と死が繋がっている」ことに気付く者を幾らかでも増やせればよいと思う。
 生きているうちに仕度をすれば、死んだ後にもがき苦しむことが減る。まずは瞼を開き、周りをよく見ることからだ。