日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎病棟日誌 R070220 「爺さんの呪縛」

病棟日誌 R070220 「爺さんの呪縛」
 家人の調子が悪く,この日は勤めを休んだ。
 「喉が痛く口の中も腫れている」
 勤務先の小学校では溶連菌の感染が蔓延しているらしい。溶連菌感染症は昔で言えば猩紅熱だ。
 とりあえずダンナの病院に連れて行くことにした。
 病院のロビーの椅子に座っていると、向かい側に高齢の夫婦が来た。奥さんは車椅子に乗っており、夫がその世話をしているようだ。
 それを見ていた家人が呟く。
 「私もあんな風に車椅子に乗り、お父さんに世話をして貰うようになるかっも知れないな」
 ダンナは既に障害者だが、それを飛び越して・・・という話だ。
 「なら俺は長生きしないとな」
 仮にそういう状況になったら、はっきりした「生きるテーマ」が生まれるから、当方は割合もつようになると思う。
 心の中にもスイッチがあり、それを押すと病状が改善される。
 もちろん、ソコソコまでの話で、基本は老病死は宿命だ。
 家人の受療の手続きを済ませ、ダンナの方は自分の病棟に向かうことにした。

 病棟に行くと、患者のAさんが戻っていた。Aさんはこの数週間不在だった。Aさんはアラ60歳の女性患者で、血管の多くが人工血管になっている。また手術を受けたらしい。
 「恥ずかしながら、また生還しました。十度目の受療でした」
 Aさんはかつての「横井さん」風の挨拶を寄こした。
 今度は腕の血管を肩から肘まで取り換えたらしい。同時に脳内の検査も受けた、とのこと。循環器全般が弱いらしい。
 「さすが不死身ですね。宗教団体を作れそう。死なぬお守りを売れば儲かるよ」
 心臓はバイパスが繋がっているし、胃の裏の大動脈も人工血管だ。もはや人造人間だが、とにかくしぶとい。
 一人で医療費を一億くらい消費している筈だが、しかし、どうやって危機的局面を凌いだかは重要な情報になると思う。正確な受療記録を残せば、世人のためになる。普通なら5回は死んでいる。
 だが、腕を見ると、やはりボロボロな状態だった。胸元を開けばざっくり手術痕だらけだろう。たぶん、59歳くらいだと思うが、外見は80歳だ。これが歴戦の兵だ。

 問診は親父看護師のタマちゃん。
 「どこか具合の悪いところはありますか?」
 「今は坐骨神経痛だけだね」
 「だるいとか胃痛とかは?足は大丈夫ですか?」
 「体調が良くなったね。足先も絆創膏で大丈夫。痛みがあるが我慢できる」
 「ふうん。急によくなりましたね」
 「お寺に行って、爺さんを慰めたからな」
 「はい?」
 「いや何でもない。俺の特技の話だわ」

 病気の原因には、身体、心、行動、そして魂の四つがある。
 どの要因かが強く働いている場合には、それを軽減すると劇的に改善する。もちろん、加齢により全体的に衰えるのは避けられず、完治は望めぬが、改善は出来る。それぞれにスイッチのようなものがあり、それを上手く入れられれると、パッと良くなる。
 当方はとりわけ自分自身の「魂」のスイッチを知っているから、原因がここにある場合はパパッと治せる。
 十数年掛かって、ようやくここまでたどり着いた。
 今回は「爺さん」が痛みを倍増させていたが、自分の経験した苦痛を当方に再現させていたらしい。
 ま、こんなのは常識人には理解出来ないと思う。当方は非常識派なんでね。

 治療終りは背高看護師のTさんだった。
 いつも手が熱いのだが、この日は冷たかった。
 「器具の洗い物をしたか、座っていたかのいずれかでしたね」
 「昼休みでパソコンをいじっていました」
 「見ていたのは数字とか固い文書でしょ?」
 「検査の予約を入れてたんです。よく分かりますね」
 そりゃそうだわ。人の心の奥を見透かすのが商売だったもの。

 帰宅すると、家人も戻っていた。
 「どうだった?」
 家人は笑って、「扁桃腺炎と口内炎だった。感染症じゃない」。そうでしょ、そうでしょ。
 家人の祖母は百歳を超えて生きた。義母も96歳で健在だ。
 家人も病気を殆どしたことがなく、インフルエンザに罹ったのさえ45歳の時が初めて。
 今朝方には「もう駄目だ」と今にも死にそうな風情だったのに、今は平気な顔をしている。
 ま、こんなもんだわ。

 今回、「爺さん」の影響を探り当て、ピンポイントで慰めると、三か所くらいの病状がガラリ一変した。
 コツを教えてあげたいが、当方と同じものが見える人は殆どいない。当方は人影(幽霊)ではなく、煙や光、すなわち霊気を見ている。触られた時の触感について、これまで繰り返し記して来たが、あの感触を覚えたことで飛躍的に感度が高まった。
 きちんと宥められれば、もっと良くなると思う。坐骨神経痛を治したいのだが、これは年齢的にどうか。

 

追記)爺さんが体に触れた感触があり、それで相手が誰かと推測出来たわけだが、これが何時から寄り憑いていたかが分からない。最近尾画像をチェックしてみたが、あやふやなものばかり。

 二月十日の爺さんはまるで生身の人のよう。ガラス映像は遠近が変わることがあるから、もしかすると少し離れたところにいる人が写り込んだ可能性がある。

 十六日のは画像が不鮮明で、それとは分からない状態だ。もちろん、視覚ではなく、肩に触れられた感触で、それが「高齢の男性」だと悟ったものだ。

 直接接触すると、相手のことが幾らか分かる。

 この八幡神社は交流点があり、正確にその位置に立つと、写り込むものが変わる。

 興味深く、また時には気色悪い。