日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎北海道で記憶がなくなった話(あるいは幽霊の宴会)

◎北海道で記憶がなくなった話(あるいは幽霊の宴会)
 四十余年前の夏、大学同期のM川君と一緒に男鹿半島から青森に向かい、確かそこで映画を観た。その後、M君と別れ、当方は八戸周りで盛岡に帰る予定だった。
 ところが、青森で気が変わり、青函連絡船に乗った。
 ここですでに記憶が混濁しており、連絡船の畳の隣に男子がいたような気がする。
 だが、函館から各駅停車で札幌方面に向かい、まず途中の森駅で降りた。ここは「いかめし」の本場だから食っていこうと思ったのだ。とにかく「まずは本物」だ。
 ところが、それ以外に何も予定がないので、その足でまた各駅に乗り、北を目指した。
 ここで札幌を迂回して、苫小牧方面に向かったが、支笏湖に寄ったような気がする。
 この辺の記憶がほとんどない。

 行きつ戻りつしながら、夕方になったが、それが登別の近く。
 登別は温泉地だから、温泉に入って行こうと思い付いた。
 登別の駅に下りたのは、夕方八時くらい。
 予約などしていないが、既に案内所は閉まっているので、旅館を探す手立てはない。その頃は携帯などなかった。
 改札を出て、「はあ、どうしたもんか」と立ち止まる。
 すると、法被を着た呼び込みの小父さんが近づいて来て、「今日泊まるところあるの?」と訊いて来た。
 「いえ、予約してません」
 「それなら、夜朝二食付きで3千5百円で泊まれるよ。送迎付きだよ」
 エレー安い。当時でもビジネスホテルの素泊まりで5千円くらい。旅館で二食付きなら8千円から1万2千円の間だ。
 「ではお願いします」
 それでマイクロバスの送迎車に乗ったが、そこから旅館医着くまでがやたら長かった。40分くらいは乗ったのではないか。
 要するに、登別駅で客引きをしていたが、登別の旅館ではなく、近隣町村の旅館だった。

 九時半頃にやっと着いたが、旅館の前に立つと、なんだかすごく嫌な気がした。
 旅館自体も暗いが、周囲も真っ暗だった。
 「いつの時代のだよ。戦前か」
 玄関を上がるとすぐに帳場があり、着物を着た女将さんらしき小母さんが出迎えてくれた。
 宿泊料はそこで前金で払った。
 二階の部屋に案内されたが、四畳半くらいの小さな部屋だった。普段は工事の労務者とかが泊まるための旅館なんだな。
 「お風呂は十時までですから、すぐに入ってください」
 荷物を置いて、すぐに風呂に行くと、風呂は交代式で、前の母娘がちょうど出たところだった。

 風呂から上がったのが夜の十時頃だが、部屋に戻ると食事が出ていた。シンプルだが割とまともな食事で、最初に飲み物を頼むと「もうそこから追加の注文は出来ない」という話だ。食べ終わったお盆は廊下に出して置くと、早朝に仲居さんが片付けるとのこと。

 ビールを飲んでいるうちに気づいたが、周囲に人の気配がほとんどしない。隣の部屋などに人がいれば、トイレに行ったり風呂に行ったりと出入りがあるものだが、そんな音や気配が一切ない。
 またもなんだか嫌な感じ。ざわざわする。
 おまけに、部屋の中にいると、入口の扉の後ろに誰かがじっと立っているような気がする。
 おかげで、布団に横になっても全然落ち着かなかった。
 トイレは長い廊下を歩いた端にあるのだが、途中が真っ暗で行き難い。左手が窓で、右手が座敷で、部屋に入る時にチラ見したところでは、宴会はなく灯りがなかった。
 部屋にトイレがなく、用を足すには長廊下の端まで歩く外はない。
 我慢していたが、食事の時にビール大瓶を飲んだこともあり、いよいよ催して来た。歯磨きもしたい。
 結局、トイレに行くことにしたのが、夜中の十二時過ぎだ。
 廊下に出ると、やはり真っ暗だったが、壁を手探りで探してスイッチを見つけ、灯りを灯した。
 長廊下を歩いて行くと、最初の宴会場はやはり暗かったが、その隣の間では、何やら宴会をやっている気配がした。
 ここの記憶は鮮明で、「俺の田舎と同じだ」と思った。
 宴会があると、十時ころまでは普通に飲んでいて、お開きのしるしの温い蕎麦が出されても、夜中の11時12時頃までは数人が残って飲んでいる。
 宴会場の前では、障子を隔てて客が二十人くらいいて、全員が「出来上がっている」のが分かった。女性もいて、甲高い嬌声を上げている。酒に酔ったオヤジが卑猥な話をするのも聞こえる。
 それを聞きながら通り過ぎて、トイレに行き、廊下を歩き始めると、ついさっきまで聞こえていた歓声がパタッと止んでいる。
 座敷の前を通るが、中は暗く、人の気配もない。
 障子がほんの少し開いているので、中を覗いてみると、真っ暗な部屋に誰かがいた形跡はない。
 思わず、ぴょんと飛び上がって、廊下を小走りで走り自分の部屋に戻った。
 それからは、一睡も出来ず、朝まで起きていた。
 朝になり朝食を食べると、またマイクロで駅まで送って貰ったが、前の夜にそこに泊まったのは、当方と母娘二人だけだった。
 あの二人も、それがこういう旅館だとは知らずにそそっかしく泊まった筈だ。

 また登別駅に戻り、そこから江別市を通って、十勝方面に向かった。この辺は行ったり来たりで直行ではない。
 江別市では同級生宅に泊まったつもりだったが、何故か同行者がもう一人いたような記憶があるし、常識外だから、今はあれは現実ではなく予知夢だったのではないかと思う。
 予知夢は現実感が凄まじくあるので、夢と現実に起きたことと区別がつかない。
 そこから稚内に行き、また稚内から各駅で戻ったのだが、稚内で料亭風の旅館で生ウニとアワビを食べたこと以外はまったく記憶がない。

 旅の殆どの夜を公園とか駅の前で、寝袋に入って寝て過ごしたが、稚内以後、数度旅館に泊まったので、金がなくなり、函館に着いた時には所持金が3百円くらいしかなかった。
 土曜の午後で、当時は銀行が月曜まで開かない。
 「パンと牛乳でも1回だけだな」と思ったが、函館の商店街を歩いているとパチンコ屋があり、涼むために中に入った。
 手打ちの台の前に座ったが、何となく百円を両替して、1玉ずつ打ち始めた。意外に釘の緩い台で、途中から連射したが、玉が欲出た。その頃でもすでに手打ちの台に座る人が少なかったから、優しくしていたのだろう。
 そこで大箱2、3箱出して、それを換金し、盛岡までの旅費と食費が出た。帰路は八戸で降り、見物した後、駅弁のはらこめしを買って、社内でビールを飲みながら食べた。

 記憶が断片的になるのが、登別以後のことで、帰路の函館まではほとんど記憶にない。
 盛岡の実家で、旅行中に撮影した画像を現像したが、数枚はデロデロの心霊写真だった。たぶん、登別のあの旅館がきっかけで、それ以後はしばらくの間周囲に幽霊がいたと思う。「常にもう一人の男子がいた」記憶が残っている。

 後に映画の『シャイニング』を観たが、自分の経験と全く同じだと思った。誰もいないフロアで幽霊たちが宴会をやっていた。
 十年後くらいにこれとほとんど同じ体験を青森の岩木山の近くでした。こちらは岩木山の近くだが、麓にあるという温泉旅館ではなかったようだ。名前も知らない。
 道に迷って、たまたま空いていた旅館に泊まったが、夜中の一時過ぎに宴会の騒ぎが聞こえた。
 何故か分からぬが、登別の時と同じ女性の声が聞こえたと思う。