日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎幸運であれば・・・の付記(お迎え考)

◎幸運であれば・・・の付記(お迎え考)

 繰り返し「お迎え」体験を記して来たので、つい省略してしまいがちになるが、過去ログを検索しない人もある。よって、代表事例を再度記して置く。

 

 「お迎えに会った」という話を聞いた最初のケースは、私の遠縁(親戚のそのまた親戚)の金太郎さんの話だ。

 金太郎さんの体験は、親族では有名な話なので、幾度となく話題に出た。

 概要はこうだ。

 金太郎さんは、末期がんで入院していたが、いよいよこの世を去る日が近づいて来たので、一時帰宅することになった。

 これがおそらく最後の帰宅で、次に入院する時には、もう戻っては来られない。

 家では布団に横になったまま、見舞いに来る客があると、それとなく別れを告げた。

 ある時、家の者が仕事(農業)で出払っている時に、玄関から物音がした。

 「誰か来た」と思ったが、その気配は声をもかけずに家に上がり込んで来た。

 ずかずかと居間から金太郎さんの部屋にやって来た者を見ると、とてもこの世の者とは思われない。男だったが、血の気のない青黒い顔をしている。

 男は「今日はお前を連れに来た」と言った。

 金太郎さんは疑いなく「これは俺をあの世に連れて行こうとする者だ」と悟った。

 慌てて「ちょっと待ってください。俺にはどうしてもやり残したことがある。だから一年だけ待ってくれませんか」と男に言った。

 この時の話の詳細はよく分からない。私が聞いたのは、金太郎さんが亡くなってから幾年も経った後だった。

 ・・・(不明)。

 すると、青黒い顔をした男は、「そうか分かった。ではまた来る」と言い残して、家の外に出て行った。

 驚くなかれ、その後、金太郎さんの病状は安定し、医師から「もってひと月」と言われていたのに、一年間生きることが出来た。

 あの青黒い顔の男に会った時からちょうど一年が経った頃に、金太郎さんは亡くなった。親戚からは、「二回目は前の約束通り、一緒に行ったのではないか」と言われていた。

 ここまでが実際にあったことだ。

 

 ちなみに、その話を聞いて、私などは「あと一年」ではなく「あと三年待ってくれ」と言ったらよかったのに、と思った。だが、許容範囲を超えていれば「ダメです」で終わりだから、これもリスクがある。

 その後、私自身も青黒い顔の男たちに会ったが、実際のところ、ものを考える余裕は無かった。

 私のケースをもう一度記すとこんな具合だ。

 

 心臓の治療の後、ベッドに座っていた。あまり経過が思わしくなく、心房細動を発症するので、心電図をつけたままだった。時々発症すると、その都度ナースステーションから看護師が飛んで来る。

 夕食後、突然、病室(6人部屋)のドアが開き、二人組が入って来た。

 金太郎さんの話の通り、顔色の悪い、薄気味の悪い二人組だった。

 ちなみに、この時はもちろん、目覚めていた(夢の話ではない)。

 二人組はベッドサイドまで来ると、手を伸ばして私を掴もうとした。

 その時の恐怖ときたら、どんなホラー映画よりも上回るほどだ。

 ここから先は必死だったので、どう対処したかをよく覚えていない。

 「こっちへ来るな」と叫んだのは確か。

 (この後1分間くらい不明)

 男の一人が手を伸ばし、私を掴もうとしたが、まるでアクリル板に当たっているかのように、手が止まった。

 周囲を探っていたが、手を入れられぬと判断したか、「チ」と舌打ちをすると、そのまま病室から出て行った。

 会話らしい会話はなかったと思うが、あまりに緊張したので、失念したのかもしれん。

 男たちが出て行った後、胸を撫で下ろしたのは、私は「ベッドの横には透明な壁がない」ことに気付いていたからだった。気付かれたら、捕まえられていた。

 不思議なことに、この後すぐに心臓の調子が安定し、心電図が外れた。

 後になり、母の言葉を思い出した。

 「入院する時には個室は避けなさい。個室には逃げ場がないから」

 その言葉の真意を確かめたことはないのだが、たぶん、こういう状況のことだと納得した。病人が複数いる病室なら、死期に瀕している患者は自分一人ではない。

 お迎えは「連れて行きやすい者」に手を伸ばすと思う。

 以来、幾度となく入院しているが、その都度、必ず大部屋で、しかも中央のベッドにして貰っている。

 だが、これは直感だが、「命を引き換えにする代償が必要かもしれん」と気が付いた。

 せっかく訪れた客を手ぶらでは返せない。これは人間と同じ理屈だ。

 命の代わりになるものなら、たぶん、自分の会社だろうと考え、事業を止めることにした。もとより病気で、そもそも経営自体が出来なくなっていたのだった。

 

 以上が実体験の内容と、自分なりの考察による解釈だ。

 私は宗教家でもなければ、霊能者や祈祷師でもないから、私を受け入れろとは言うつもりがない。各々自分の生きたいように生き、信じたいことを信じればよい。

 私はすでに半ば棺桶に入った状態なので、他人のことには興味がない。理解も共感も不要だ。交流もお断りだし、ご意見は無用。残り少ない時間が無駄に潰れる。

 なるべく事実と、それに対する所感と推察を記しているので、絵空事ではないつもりだ。おそらく私と同じ悩みを持つ者が五人から十人はいる筈なので、その人たちに情報を提供している。私の死後には、きっとその人たちが考究を続けてくれると思う。

 

 注記)眼疾があり、文字が良く見えぬので誤変換はあります。

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