日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎祖父の蝙蝠

◎祖父の蝙蝠
 父方の祖父が亡くなったのは、私が小学五年の時だ。三月だったから、正確には四年の終わりで、雪がようやく消えた頃だったと思う。
 祖父は寡黙な人で、殆ど何も話さなかった。
 戦前、祖母が二十台で亡くなったので、子ども三人を抱え、祖父はたいそう苦労したらしい。これがあってか、父が独立し、商店を構えるようになると、祖父は働くのを止め、毎日釣りをして暮らすようになった。
 このため、私が物心ついた頃には、祖父は「釣りをする人」だった。周囲三十キロくらいにあるどの川にも行ったようで、隣町やその隣の村まで行っても「ヤマゴン(屋号)の釣り好きのお爺さん」のことは誰もが知っていた。
 その祖父は五十台の末で隠居生活に入ったせいか、常々、「俺が死ぬ時には皆に迷惑を掛けぬように、床から起きられなくなったら三日で死ぬから」と言っていた。
 この年の春先に、祖父は体調を崩すと、自分の言葉通り、床に臥して三日後には亡くなった。「具合が悪い」と言い始めてからは一週間目だったようだ。

 新年度に替わり、八月となり新盆が来た。
 実家は商店で、差からの皿盛や仕出しの注文を取ったので、かなり忙しく、お盆になっても夜中まで働いた。
 新盆の初日に、台所の出入り口の前に迎え火を炊き、私は卓袱台の前で座っていた。父や兄はまだ店で働いている。
 下の叔父が手伝いに来ていたが、この時には休憩で私の向かいにいた。

 この時、台所の戸口が少し開いていたのだが、突然、一匹の蝙蝠が家の中に入って来た。
 その蝙蝠は、叔父と私が見ている前で、卓袱台の隅に止まった。
 そこは祖父が生前座っていた場所で、祖父が亡くなった後は、家族はその場所には座らなかった。祖父の場所だから開けたままにしてあったのだ。
 仏壇に出す前のご飯などは、先にその場所に備え、全部揃えてから持って行った。


 叔父がその蝙蝠を見て「珍しいことがあるもんだな。蝙蝠が灯りに引き寄せられることはないのに」と言った。
 小鳥や虫が照明に寄ることはあるが、蝙蝠は暗がりを好む。
 私は叔父と卓袱台の蝙蝠を少しく観ていたが、すぐに気が付いた。
 「これはお祖父さん(おんずさん)ではねえべか」
 すると、下の叔父は「たぶん、そうだな。きっとお盆で戻って来たんだべな」と答えた。
 蝙蝠は祖父が座るべき場所で暫くじっとしていたので、私と叔父は同じことを感じたようだ。
 その後、蝙蝠は天井に止まっていたのだが、叔父が祖父の釣り用の手網を持って来て、蝙蝠を捉え、外の暗闇に放した。
 蝙蝠が闇に消えると、私と叔父は蝙蝠が去った方向に向かって、手を合わせて拝んだ。

 卓袱台に止まっていた時、蝙蝠は私や叔父のことをじっと見ていた。蝙蝠が灯りの下に飛んで来ること自体が起こり得ぬことなので、私はひどく感銘を覚えた。
 蝙蝠はじっと私を見上げて、何かを話したそうにしていた。

 既に余生に入り、今は久しく忘れていた昔のことを頻繁に、かつ鮮明に思い出す。

 生きながらにして、もはや閻魔様の前に立っているわけだ。

 私の母も、亡くなる当日まで自分の足でトイレに行っていた。五メートルほどの室内トイレに行くのに、脚がおぼつかぬから二十分はかかったのだが、母は頑として「一人で行く」と言って、その通りにした。

 私も「自分独りでトイレに行けぬ事態になったら、三日でこの世を去ろう」と思っている。