日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎霊界通信 R070509 「一旦、痛みが消える」

◎霊界通信 R070509 「一旦、痛みが消える」

 日に五分×4回くらいしかPCの前に座れぬので、殆ど何も出来ない。毎日少しずつ作業をして、一つの記事を書き終わるのが三日後だ。

 これは先週金曜の話。

 「癒し水」で慰める段階が二週間に及んだので、そろそろ行けるかと思い、室内の三か所に御神酒を備えた。それから幾らかPCの前に座ったが、二十分くらい作業が出来た。

 突然だが「幾らか改善されたのか?」と頭に浮かぶ。

 居間に戻って、MLBを観ていたが、急にテレビ台の上に置いていたスマホに電源が入った。

 勝手に電源が入り、カメラが立ち上がる。

 この間、一切手を触れていないので、すぐに「メッセージがある」と気づき、前回、「黒い女」が座っていた付近を撮影した。すぐに開いたが、特に何も写っていなかった。

 「何もないのは、良いことの証だろうな」

 すぐに外出することにした。目的はもちろん、セルフチェックだ。

 家を出がけに、フェンスを見ると、アケビの蔓が先月の二倍に伸びていた。家人がネットを張り、蔓が掴まりやすいようにしたのだが、こうするとアケビは見る見るうちに伸びる。たぶん、秋にはフェンス20㍍が総てアケビに覆われると思う。掴まるものがあるとアケビは著しく生育するが、これがないとまったく育たない。何かにしがみついた時だけ成長できる。

 人間でもこういう奴はいるなあ。おまけに自分独りで大きくなった顔をして、さらには起源主張までする奴までいる。

  

 神社に行き、最初にスポットを観た。やはりいつも煙が渦巻いている。

 「中に入ったら分かりよいかも」と思うが、私のような者には悪影響がありそう。

 私に限らず、ここにぐるぐると煙(霊霧)が見える人は、立ち寄ったらダメだ。何も見えぬ人は影響なし。

 「あの世は人を選ぶ」のだ。

  セルフチェックをすると、やはり想像した通りのことが起きていた。

 お稚児さまの助言の通り、「俺は敵ではないよ。仲良くしよう」と言葉に出して言った。

 二枚目の左肩の女は、私の背中に手を当てていたので、どういう者か素性が分かった。

 これは昨年買った車の前の持ち主だ。存在を感じていたが、顔を見るのは初めてだ。

 病気で亡くなったが、子どもがいて、この世に未練があるので、留まっている。

 たまたま私が次の持ち主になったので、これ幸いとあれこれ訴えて来るわけだ。

 時間は掛かりそうだが、慰めて行けば、いずれ鎮まると思う。

 子どもたちのところに連れて行こうかとも思うが、目の前に見れば、その子どもたちに執着するかもしれん。良い影響とはならないので、なるべく私のところで慰める。

 これは助言だが、よく中古車を買った際に神社でお祓いを受けるが、これは確かに受けた方が良さそうだ。愛着を持ち日常的に使ったものには、心や執着心、幽霊が宿る。

 女の後ろには男がいるが、侍の装束を身に着けている。ま、ここは古戦場だからいても不思議ではないが、幽霊は時間の経過とともに自然に風化して崩れ去るものだ。肉体を持たぬので、自我を保つのは容易ではないためだ。百年以上前の者が姿を示すとは、一体どういうことなのか、まだこの状況を理解できない。

 

 さて、ひとつ宿題があったので、今回はこれを確かめてみることにした。

 手水場の左右に電線状の細線が三四本写ることがあるのかが、これは実際に存在するものなのか。見えた感じだと、物であれば、ケーブル製のフェンスか電線だ。

 だが、現地にはその両方とも存在しなかった。

 幽霊が傍にいる時には、時々、稲妻みたいな光が走ることがあるが、これもその類だろうと思う。ここはいわゆるパワースポットで、煙(霊霧)が常に渦巻いている。外見が稲妻だったり、電線だったりするから、「実際には存在しないもの」と気づきにくい。

 ま、今は磁気嵐の影響があるから、それとの関連で発生するものかもしれん。

 しかし、ここの煙はスゴい。蛇のようにぐるぐるととぐろを巻いている。

 こんなのは「見られる者」「見える者」が見れば、すぐに「穴」だと気づくのだが、ここがパワースポットだと気づく者は殆どいない。不思議だ。本物の「霊能者」、「霊感の強い人」はあんまりいないらしい。

 手水場の軒先はたまたま背景が暗いので、煙が目視できるのだが、これはきちんと画像にも出ている。この煙は誰でも見えると思う。私にはこの画像全体がこういう煙で覆われているように見える。

 ちなみに、女がこっちを見ているが、これは最初の「穴」と同じ位置だから(角度違い)当たり前だ。女は皆さんには見えないが、見ない方が幸せだ。一度見え始めると、どっと出て来るし、目に止まるようになって行く。生活に差し障りが出る。

 

 神殿の前に立ったら、窓ガラスの中に人影が見えた。

 目視で見ると、少なからず感動する。

 「感動した」のは、その人影が「観音さま」のような服装をしていたからで、刹那的に「ここは神社なのに観音さまがいるのは何故?」と思った。

 答えは簡単だ。

 あれは私が「巫女さま」と呼んでいる女性で、こちらは「守護霊」と呼ぶのにふさわしい存在だ。危機の時に幾度も助けて貰ったが、おそらく「お稚児さま」や「猫(トラ)」を差し向けたのはこの女性だと思う。

 逆に言えば、この「巫女さま」が姿を現すくらい、私が危機に瀕していたということだ。

 何せスマホが勝手に立ち上がって撮影する。

 ちなみに、「理屈で起こり得ぬ事態」が起きると、現実感がないので、手ごろな別の理由を探す。電機のエラーだとかナントカだ。かつて、稲荷の眷属に祟られた時にも、スマホから「憑いた。お前に憑いた」と老人が叫んだが、現実感がまるで無かった。常識外のことが起きると、つい「ドッキリ」とか「たまたま」と見なす。現実をうまく受け止められぬのだ。

 

 神殿で手を合わせ考えたのは、「苦戦はするだろうが、このままくたばることはないのだな」ということだ。

 これを悟ることが出来たので、この日は収穫だった。

 腰も股関節も、足指もまったく痛みを感じない。

 

 帰路、「日曜は母の日だった」ことを思い出し、家人のために花を買った。

 「御返しの要らない範囲の小さな心づけ」をする習慣は家人から教わった。

 家人は「ケーキが良かったのに」と反応したが、しかし、眼が笑っていた。

 

 追記1)翌日になると、しかし、またもや股関節の痛みがぶり返していた。

 あの「黒い女」の支配下からは抜け出した筈なのにどうして?

 瞬時に答えが出たが、「相手は一人じゃない」わけなのだった。常にじゃらじゃら引き連れているので、中には素性の良くない者が複数混じっている。

 ま、一つひとつを丁寧に引き剥がしてゆく。

 今回、「巫女さま」について言及したが、この日もやっぱり椅子に三十分座れた。

 何か別に伝えられるべきメッセージがあるのだろうとは思う。まさか地震が起きたりしないよな。

追記2)それとこれとは話が別なので、「七月以降年内」を目途に、幾人かに天罰を引き当ててやろうと思う。私が経験したのと同程度の勢いであの世の力を示して貰う。

 果たして正気を保てるかな。だが、それも因果応報だ。この先は「黒い女」たちに総てを任す。