日刊早坂ノボル新聞

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◎夢の話 R070520 「慈母観音」

◎夢の話 R070520 「慈母観音」
 五月二十日の午前三時に観た夢です。

 最初の夢の中で、俺は暗闇の中で両目を開き、あれこれものを考えていた。
 「四か月以上の間、殆ど寝たきりで、またあちこち詰まって来た。この先どうしよう」
 経済を立て直す必要がある。
 ま、「この先」を心配するほど、病状が少しく改善されてきたという意味だ。

 すると突然、その闇の中に光明が差した。
 まばゆい金色の光が満ちて、その光の中に観音さまが現れた。
 身に着けている装束が先日の神社で見た姿と同じだ。
 「あなたは俺が巫女さまと呼んでいる方ですか?」
 観音さまはそれには答えず、俺に言った。

 「私の像をかたちづくり、世間に知らしめてください。いずれ幾人かがそれを心の支えとするでしょう」

 「お稚児さま」の時は、写真盾にしたり、キーホルダーにしたりして数十人に配ったが、そのうち三人からは「本当に良いことが起きました」というメッセージを貰った。
 こういう場合、「信じる」ことが大切なのだが、何かしらシンボルがあった方が信じやすい。

 「では生成AIを勉強して、あなたさまに近い姿を創り、それを世間に示します」
 良かった。この先のテーマが出来た。
 もし幾らか生きていられるなら、母のご供養のためになにかしようと思っていたところだ。
 「お稚児さま」と同様、「巫女さま」も実在するから、分かりよい。具体性があった方が近づきやすいのだ。

 一時、「慈母観音」の像とお堂を創ろうと思ったことがあるが、自分の余生では達成出来ないと悟り、放置していた。
 だが、道を示せば、続く者が必ず現れる。

 「観音さま」の放つ光を浴びていると、心中から悪意が消え、穏やかな心持になった。怒りなどがきれいに無くなっている。
 たぶん、この「観音さま」は心の安寧をもたらす存在だ。

 ここでふと考える。
 「だが、人は現世利益しか考えぬから、慈愛を説いても心を動かさない。いずれ世人が観音さまを心の支えとするようになる状況とは一帯どういう状況なのか」
 うーん、と考えさせられつつ、ゆっくりと覚醒。

 あの世は「信賞必罰」で、これは「因果応報」と同じ意味だ。
 「信賞」サイドは「巫女さま」や「お稚児さま」のグループで、「必罰」サイドは「アモン」や「でっかい女」たち。
 西洋的には、善と悪みたいな考え方をするのだろうが、あの世に善と悪の違いはない。
 「アモン」は見た目がバケモノでおどろおどろしいが、悪さをするわけではない。悪心を持つ者に罰を与えるだけ。
 善悪は生きている人間がこの世で行きやすくするためのものだ。

 

追記)一月頃から、私の周囲に「あの世の者」が集まって来たが、ざっと三十前後はいたと思う。「幽霊」ではなく「あの世の者」と言うのは、「黒いひと」のような得体のしれぬ者も混じっているからだ。幽霊にはありがちな心情が見えない。

 今はようやく半減して、昨夜、その中で重い者、たぶん、「黒い女」だと思うが、それが去った。それと同時に、苦痛が少し減り、体調が改善される気配が見えて来た。

 股関節痛が一段軽減されたのと、心肺症状が治まって来たのだ。息をする度にからころと音がしたから、血中酸素飽和度が90以下に下がっていたのかもしれん。

 こういうのは、ある一瞬からがらっと変わる。

 前回も記したが、私はまだ「嫁の続き」を観られるのかもしれない。

 窓ガラスに映る景色の中に、目視で「観音さま」を確認しているから、容易に「信じる」スイッチが入れられる。いつも記す通り、「願う」ことと「信じる」ことはかなり違う。「信じる」のは個人的欲望とはあまり関係がないから、これを切り離すのが難しい。だが、このスイッチを押せると、状況が一変することが多い。