◎病棟日誌R070601「洗礼」
◎病棟日誌R070601「洗礼」
三月に患者が消え、そのベッドに新しい患者が入って来た。顔触れがガラッと変わった。
当方が前にいたベッドには、長髪のぼさっとした男が入って来たが、見たところ四十台のよう。
バンドでもやっていそうな風体だが、大工左官にもこういうタイプはいる。
塗装業を生業とする人は、マスクをして仕事をするのだが、それでも幾らかは吸い込んでしまうらしく、肺、肝臓、腎臓に悪影響が出やすい。肺で吸い込み、血液にそれが入ると、血は必ず肝臓を通り、腎臓を経由して排出される。
肺癌、肝臓癌、腎不全が職業病だ。喫煙率も高いから、さらに背中が押される。
四十台ではまだ早いが、自分がそうなるとは思っていないから、自分の状況を理解するまで時間がかかる。
このロン毛の患者は、最初の日にタオルひとつ持参しなかった。どういう治療を受けるか分かっていなかったのだ。
治療自体がしんどいが、なりたての場合は体が自分の変化を受容できないから、大きな変化を感じない。
概ね、一升瓶一本くらいの水を抜くから、急激な圧力(血圧)変化が生じる。
これで具合が悪くなるのは、開始後2、3か月してからだ。
ロン毛はちょうど今がこの頃で、この日は意識不明に陥っていた。これは血圧の急降下による。
看護師がロン毛に「私の声が聞こえますか?」と叫んでいるのを聞き、「ああ、洗礼を浴びているな」と思った。
これからが本番だわ。
ほとんどの患者は、入棟後、「自分がこうなってしまった」「もう未来はない」と感じ、塞ぎ込む。挨拶を掛けても、上の空なので返事が返って来ない。
ただ、当惑して日々を過ごす。
もちろん、四十台ならまだ先はある。七十、八十でここに来れば、余命は「数か月から半年、長くて一年」だが、五十代以下は、まだ「心臓からの腎臓」、「肺からの腎臓」で、体力が残っている。もちろん、人にもよるが、数年は生きられる。
血圧が乱高下するから、血栓が出来やすく、治療中に心筋梗塞や脳梗塞になったりする。
半年間は絶望のズンドコで、胆力が試される。
人間の地金は、逆境苦境の時に顔を出す。
順境の者は何でも言えるが、それは困難を抱えていないことによる。違いはそれだけ。
「心臓が動いているうちはまだ死んでいない。そこからどう立て直すかが重要なんだよ」
ま、今は何の助言も役に立たない。聞く耳を持ってはいないから、これは仕方がない。
帰宅して、椅子に腰を下ろして溜息を吐くと、家人がダンナを見下ろして、こう言った。
「頭がキウイみたいだね。ギャハハ」
先日、髪を切ってかなり短くしたのだが、髪の毛が柔らかくて薄いので、ちょうどキウイくらいだと言う話だ。
最後の「ギャハハ」にやたら腹が立つ。
「俺がキウイなら、おめーはデブで豚の外人ババアだわ」
だが、悪口ではオヤジはババアに到底敵わないのだった。
ま、腹を立てている方が、湿った考えを持たないから、はるかにましだ。