日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎「会心の出来」の米だったらしい、からの

◎「会心の出来」の米だったらしい、からの
 ふた月くらい前に親戚の農家から米を20キロ送って貰った。最初に10キロ届き、翌日にまた10キロが届いた。
 伯母に「二回も送って頂いて」とお礼を言うと、最初のは伯父が送ったものだったが、二つ目は息子(従兄)が送って寄越したらしい。伯母は二つ目の米については知らなかった。

 当家では米の消費量があまり多くなく、四人で日に一合半で済む。最初の10キロを食べるのに、ひと月以上かかった。
 最近、次の袋に移ったが、そこで気付いた。
 「品種と味が違う」
 口に含んだ時の食感や風味が違う。
 「そう言えば、近年は新品種に取り組んでいたな」
 ササニシキコシヒカリ系ではない品種を作っていた。

 後の方の米がけた違いに美味く、ご飯だけで食べられる。
 漬物だけで十分だ。
 これが冷めた後も美味い。冷たいまま食べても美味いので、長芋を擦って海苔を振りかけ、「山掛けご飯」にして食べる。
 少し良くないのは、それで食事が済んでしまうということだ。
 少量でもたんぱく質なんかを摂らないと、体調に影響が出て来る。

 ここで気付いたが、二つ目を送った従兄の真意は「自分の思う通りの米が作れたから、食ってみろ」ということだったのだな。
 品種がどうのブランドがどうのとかは関係なく、一つひとつを丁寧に整えれば、質の高いものが作れる。
 炊き立てなら「塩むすび」、冷めたものは「山掛けご飯」にすると、ご飯粒一つひとつの味がよく分かる。

 親戚に「昨年の米は美味しい」とは伝えていたが、それ以上の出来だった。気候や日照の条件もあり、平均的な水準も上がっている筈なので、普通の品種も美味しい筈だが、米の価格上昇のおかげで、店では買い難くなっている。

 古々古々米の味が「ほとんど変わらない」のなら、そもそも米が余る事態は起きない。劣化する前に食べてしまわねばならないという期限内消費を前提としたときだけ「余る」現象が起きる。
 貯蔵して味が変わらないのなら、売れ残ったものは貯蔵して必要な時に出せるから、余ることはなくなる。
 JAの農家への精算額が各地で公表されているが、玄米60キロで1万3千円で前の齢とほぼ同じだった。だが、新米の卸価格は1万6千円から2万5千円まで上がっている。
 「農家には値上げ分の還元が一切行われていない」のは明白だ。

 経済評論家などは「政府がJAを売り飛ばそうとしている」などと陰謀論を持ち出しているが、事実関係を見ればよい。
 こんなのはただの論点ずらしだ。
 三次備蓄米の落札以後、ふた月以上も小売店には殆ど回らなかった。その95%を買っていたのはJAで、JAが米不足の片棒を担いでいたのは疑いない。
 「時期的に配送会社を手配できない」「精米が遅れている」という説明をJA自身がしたが、古古々米は売却決定後、二日で店頭に並んだ。「語るに落ちる」とはこのことだ。
 現に古古々米が出回り始めたら、新米の棚も山積みされている。これは実際に近所のスーパーで見て来た。
 「流通に問題があり、品不足」ではなかったのか?
 JAは生産者組合で、独占禁止法の規制対象にはならないそうだが、一次卸業者から先は民間企業だ。これらが品不足と価格つり上げに加担していれば、当然、独占禁止法で罰せられる。

 あと四か月もすれば、今年の新米が出て、どうやっても前年米以前の米が在庫過多になる。本来、新米を売るべき季節に備蓄米で埋めたから当然だ。
 価格を吊り上げた状態で滞貨になれば、当然、まったく売れなくなる。八月頃には転売ヤーたちと同様に投げ売りが始まると思う。 

 眼疾があり、文字がよく判別できませんので誤変換があると思います。