◎病棟日誌 R070619「いただきます」からの
◎病棟日誌 R070619「いただきます」からの
ベッドに寝ている時間が5時間あるので、どう過ごすかが大問題。
MLBがあればそれを観るが、他は映画もテレビも飽きた。
仕方なくゲームをやり、MVを視聴してやり過ごす。
ゲームといっても単純なブロック崩しみたいなアナログっぽいやつだが、「これでおしまい」がなかなか来ない。3千画面くらいで「終了」が出るのかと思ったが、5千を過ぎてもまだ続きがあるらしい。
トシと性格的に、もはや新しいことなどしたくないから、MVも決まったものを繰り返し聴く。
前野曜子さんの歌が最も多く、トシが行ってからのが秀逸だ。
「別れの朝」なんかは、酒焼けで声が変わってからの方がすこぶる良い。男と別れることになり、狼狽と言うか錯乱に近い感情がぐるぐる渦巻く感じがあり、「これが大人だな」と思う。
大人は面倒くせーんだよ。
昭和には前野さんみたいな感じの「かっこいいお姉さん」があちこちにいたなあ。小学生の当方にはあこがれだった。
治療が終わり食堂に行くと、たまたま終わり時間が重なっていたのか、この日は患者が沢山いた。
そこで初めて気付いたが、「いただきます」「ごちそうさまでした」をはっきりと口に出して言うのは、当方一人なんだな。
ま、治療自体が苦しいし、もはや土俵際で防戦一方だから、生き残ることに必死で気が行かないのも分かる。
ふと気づくとどんどん患者が欠けて行くから尚更だ。
今年の春なら「ちょんまげオジサン」が急死したのはショックだった。通院自体、週に1度だけと症状が軽微な患者だったのに、「背中と横隔膜が痛い」と言い始めて三日で亡くなった(大動脈解離)。患者の中では最も元気な人だったから、「いつ起きても不思議ではない」ことを思い知らされた。
そう言えば、少し前にネットでこんな記事があった。
小学校では給食の際に児童に「いただきます」と言わせるが、ある児童の親が「給食費を払っているんだから、言う必要はない筈だ」とクレームをつけた。
世界観の透けて見える発想で、人間関係を「線」で捉える構図で面白いと思った。相手と自分の間を線で結び、関係を位置づける。学校と児童(と親)の間に給食があるが、対価を払っているのだから恩義はない。そんな発想だ。
ま、中韓の文化はそうだ。わざわざ日本に観光に来て、その中であえて嫌がらせをして、「してやった」「勝った」とネットに書く。日本人と自分たちという線の関係で捉えるからそうなるわけだが、そもそも「日本に観光に来ている」のだから、その時点で負けだ。観光代金を払っている。
給食を食べられるのは、学校や自治体など出してくれる環境を整えてくれた人がいるし、親に給食費の一部を負担して貰っている。それだけでなく、動植物の命を奪って栄養にしている。給食を作ってくれた人も当然いる。
それら諸々の人や生き物、環境総てに対して「いただきます」「ごちそうさまでした」と感謝する。
一つひとつの関係はやはり線なのだが、そのどれかとか限定することなく、三次元的に状況を見回すのが日本的な発想だろうと思う。
何せ、日本には八百万の神々がいるし、森羅万象は総て霊性を備えている。生きていられること自体が霊的な交流を基盤にしている。だから足し算引き算では測れない。
「日本人は信仰を持たない」と言うのは、宗教を固定観念で捉えた「浅知恵」で、日本人ほど霊性に敬意を払う者はいない。
近隣諸国の文化や価値観に触れると、「我々とは全く違う」と感じることが多いわけだが、それにはそれなりの理由がある。
ま、DNAもまったく違う配列を持っているそうだ。
注記)眼疾があり、文字がよく見えません。誤変換があっても直せません。
そもそも人間嫌いですので、なるべく来ないでください。