日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎『怪談』第二話 学生寮の出来事    早坂ノボル

◎『怪談』第二話 学生寮の出来事    早坂ノボル

 これは私が十九歳の時に体験した話です。

 私は一年間だけ寮生活をしていた時期がありますが、その時に実際に起きた出来事です。

 私は高三の時に大学受験に失敗し、岩手を離れ、東京で浪人生活を送ることになりました。初めて一人暮らしすることになったのですが、父母はそんな息子のことを案じ、予備校の寮に入れてくれることになりました。

 この寮は都下西部の保谷市(当時)に、その年の春に新築されたもので、寮生を受け入れるのも私たちが初めてでした。

 建物は新しいですし、食事も朝夕の二食を揃えて貰えます。

 何の問題も無い筈ですが、新年度の寮生には、入寮まもなくから大問題が発生しました。

 そこは新築の三階建ての寮だったのですが、そこには開寮早々、「幽霊」が出たのです。

 

 その寮は三階建ての各階に、寮生の暮らす個室が各々三十室以上設置されていました。

 よって入寮した学生は全体で百数十名程度だったのではないかと思います。

 スペースの節約のために、部屋の広さはほぼ三畳ほどです。

 予備校の運営する寮で、そこで暮らす目的は受験勉強です。部屋にはベッドと机、小さいロッカーがあるだけで、部屋にテレビを置くのは禁止されていました。

 この寮の一階には大食堂があり、朝夕の二食は提供されました。また同じ階に共同の大浴場がありました。夕方八時までが入浴時間でそれを過ぎると、入浴は出来なくなります。

 午後八時になると、外出はもちろん、自室でテレビを観ることも、他の寮生と会話をすることも禁止でした。以後は朝まで友人の部屋を訪問することは厳禁事項です。

 要するに寮では「とにかく勉強に集中すること」が求められていました。

 私はその寮の二階の一室にいたのですが、寮の建物は山を半分ほど崩して造成したものなので、地面(坂の斜面)までの高さは二㍍もありませんでした。

 窓から外に降りるのはさほど難しくありません。

 

 これはまだ入寮したばかりの五月頃だったと記憶しています。夕食の後、部屋に戻り、ベッドに横たわると、私はそのまま寝入ってしまいました。

 小一時間くらいは、そのまま熟睡していた筈ですが、私は夢うつつの状態の中で「声」に半分起こされたのです。

 最初は窓の外から「かやかや」と声が聞こえて来ました。

 私はぼんやりした頭で、反射的に「寮生の幾人かが屋上で騒いでいる」と見なしました。

 「また屋上で騒いでいるのか」

 部屋では雑談を禁じられていましたが、それを守っているかどうかを確かめるために、寮長や舎監がインタフォンを利用して各部屋の音を確かめていたのです。このため、発覚を嫌った寮生たちは、自室を避け屋上に場所を移して、そこで雑談をしていたのです。

 そこで幾人かは酒盛りをしたので、自然と声が大きくなり、声が階下に洩れて来ることもしばしばありました。

 そんな寮生が数日前に寮長に見付かり、問題になったばかりです。

 

 「性懲りもなく、未成年のくせにまた酒を飲んでいるわけだ」

 私はそう見なし、再び眠ろうとするのですが、上手く寝付けません。

 目を瞑り考え事をしていましたが、そのうち、また「ぶつぶつ」と呟く声が聞こえて来ました。男の声です。

 寮生たちよりは年嵩(としかさ)の三十歳くらいの男が何事かを呟いていました。

 断片的に聞こえたのは次のような内容です。

 「どうして俺は※※※※」

 「なぜこうなってしまったんだよ」

 後悔か、もしくは現状を煩悶するかのような呻き声でした。

 

 それを耳にしている間に、ついに私は完全に目が覚めてしまい、両眼を開いたのです。

 私は頭を窓に向けて寝ていましたので、すぐ頭の上の方に窓ガラスが見えます。

 すると、その摺りガラスの外、かなり上の方に、白くぼんやりした顔が見えたのです。

 既に深夜でしたので、外は暗くなっています。顔が見えたのは、室内の灯りが外に洩れ、その灯りに照らされたのだと思老います。

 ですが、それは有り得ません。

 私の部屋は二階で、さらに窓の外には桟が付いておらず、そこに足場は無いのです。

 すなわち、その位置に顏があったということは、その顔の主は「宙に浮いていた」ことを意味します。

 「うわあ。これはもはや生きている者とは思えない。さっきから声を出していたのはコイツだったのか」

 とんでもない話です。

 他の寮生が私をからかおうと窓の外から声を掛けていたのなら笑えますが、そんなことはあり得ぬのです。繰り返しますが、この寮の部屋の窓には、手摺りも桟もついていないので、ここに立つことは出来ないのです。

 幾度考えても、この男は「空中に浮いている」ということでした。

 

 そう悟った瞬間、私は体を一切動かせなくなったのです。

 いわゆる「金縛り」の状態ですが、これはほとんど半覚醒状態の時に起きるものだと聞きます。

 しかし、この時の私はもはやすっかり睡眠から目覚めた後だったのです。

 

 それから、どのくらいの時間だったのかは分かりませんが、私はその男の顔を凝視しつつ、男がぶつぶつと嘆く声を聞いていました。

 「どうして※※※※になったんだよ」

 「あの時、俺は※※※を※※※していればよかった」

 こんな「悔い」や「嘆き」、あるいは「呪い」の呻き声をずっと聞き続けたのです。

 

 そのまま長い時間が過ぎ、ある瞬間に手足が動かせるようになった。

 隣室で目覚ましのベルがチリリンと鳴った、その瞬間だったと思います。それまで仮眠を取っていたその部屋の主が、定時に目覚めるために目覚まし時計をセットしていたのでしょう。

 手足が動かせるようになったので、私はベッドから降り、男から逃れるべく、ドアの方に向かおうとしたのです。

 ところが、あまりの恐怖に、私は腰が立たなくなっていました。

 私の人生で「恐怖心から腰が立たなくなった」のは、中学生の時、窓の外に「山伏の幽霊」に立たれた時に次いで、これが二度目の出来事でした。

 普通に歩けぬので、私は床に両手両足を着いて、ドアの方に四つん這いになって進み、部屋から逃れ出たのです。

 

 壁の時計を見ると、十一時くらいでしたが、受験勉強をししている寮生も多く、洗面所で息を整えていると、幾人もがそこを訪れました。

 「どうしたの?青い顔をしてるよ」

 そんな風に声を掛けられるのですが、うまく説明出来ません。

 こんな話を他人にすると、よくて「怖がり」、ともすれば「変わり者」と思われかねません。 

 そこで、私は自分の身に起きたことを誰にも話さず、恐怖心が和らぐのを待って、もう一度部屋に戻ったのです。

 それからは朝まで眠れませんでした。

 また同じことが起きたら、と思うと寝ようにも寝られません。

 

 こんなことがあったので、その後は、夜は一切眠らずに周囲が明るくなるまで勉強をし、朝が来てから眠るような習慣になったのでした。

 

 さて、以上はごく最初の出来事で、これからが話の本番です。

 私たちは成長期でしたし、心身のバランスが崩れがちな時期ですから、妄想に取り憑かれることもよくあります。

 現実には起きていないことを、「起きている」と信じる。

 しかし、これおW体験したのは私だけではなく、寮生の中には同じ体験をした者が数多くいたのです。

 

 六月の終わりになり、寮生のうちの一人が部屋で自死しました。彼は遺書を残していなかったので詳細は分かりませんが、日頃から「蓄膿症で十分に勉強が出来ないと悩んでいた」と話していたそうです。そこで寮生たちは彼の死の動機はきっとそのせいだと噂しました。

 その寮生は夜半に感電死したのですが、それが見つかったのは翌日の午後でした。

 遺体は死後硬直で捻じれていましたので、救急車を呼ぶまでもなく亡くなっているのが明らかでした。寮長は警察に連絡し、警察車両が幾台か来ました。

 警察の検分が終わると、寮生の遺体は棺に納められ、玄関から出棺しました。

 その棺を眺めながら、私は彼が「本人の意思で自死したのではないのではないか」と思っていました。

 きっと何者かが彼の心に絶望感を吹き込んだのに違いない。

 「もう俺は死んだほうがよい」

 「こんなことなら、死んだほうがましだ」

 あの声が耳元で囁いた。

 そう直感したのです。

 

 その寮生が亡くなった後、「呟き声」はこの寮全体に拡がりました。

 「呟き声」は夏になっても続き、結果って気に十五人を超える寮生が「幽霊に立たれる」という経験したのです。

 私のように「窓の外に立たれた」者も居れば、「ドアの前に立たれた」者も居ます。

 

 これは七月の末頃のことです。

 まだ午後八時前で、私は他の寮生の部屋で話をしていました。話が出来るのは八時までですので、出来事が起きた時刻に間違いはないと思います。

 その寮生の部屋は三階にありました。

 すると、すぐ向かいの部屋から「ぎゃあああ」と大きな叫び声が響き、それに続き「がっしゃーん」と窓ガラスが割れる音が鳴り響いたのです。

 何が起きたのかと友人と二人で廊下に出てみると、廊下を隔てた向かいの部屋の寮生が、もう一人の脚を見ていました。

 その寮生の膝下からは血がだらだらと流れています。

 向かいの寮生に事情を訊くと、「隣のコイツがガラス窓を蹴破って、自分の部屋に飛び込んで来た」とのことです。

 それを聞き、私はすぐに「幽霊にドアの方に立たれたのだ」と理解しました。

 幽霊が自分の目の前に立っているが、それがドアの前だったのでしょう。逃れる道が無く、男から遠ざかるための出口は窓しかありません。そこでその寮生は窓を開け、隣の部屋の窓ガラスを蹴破って、そっちの部屋に飛び込んだのです。

 脚はガラスを蹴破る時に怪我をしたのですだ。

 怪我をした寮生に、「大丈夫か」と声を掛けても、彼は一切返事をせず、ガタガタと震えていました。

 余りに怖ろしかったのか、パジャマが濡れて居り、小便を漏らしていたのが明白です。

 

 向かいの寮生は寮の幽霊を実体験したことが無かったようで、怪我の寮生に「夢でも観たのか」と声を掛けていました。

 私はそれを聞いて、内心でせせら笑いました。

 あれが「夢」や「気のせい」だというのでしょうか。その方がよほどどうかしています。

 

 世間でいう「金縛り」程度の話など、まるで比較にならない現実感です。

 目の前に「実際には存在しない『絶対に人ではない者』がそこにいる」という確信がありました。

 そもそも、その寮生が異変に気付いたのは目覚めている時の話です。机に向かって勉強をしている時に、ふと気配を感じ、後ろを振り向いたら、扉のところに男が立っていたのです。

 

 これを契機に、私は寮内で異変を経験したことのある寮生の話を聞くと、その寮生の許を訪ねました。色々話を聞きましたが、この年の終わりまでに少なくとも二十人くらいが「あれ」に会ったようです。

 この寮は春に建てられたばかりの新築ですので、所謂「事故物件」ではあり得ません。

 当時の噂はこうでした。

 「この寮は、元は山全体が墓地だったのを半分崩して建てたものだ。恐らく宗教法人が破産して、借金のかたに取られたのだが、その新地主が墓所の移転の段取りをきちんとやらなかった」

 そこで障りが生じた。

 

 世間の印象とは違い、病院と墓地は「幽霊が最も出難いところ」だと聞きます。

病院にはひとがその場に執着する要素が無く、患者にとってそこは「長く居たくない」場所です。

 また墓地の方は死者が眠るところで、病院と同じく、執着の対象にはならないのです。

 双方とも死者がその場に遺恨を残すような場所ではありません。

 ちなみに、私は生来、第六感が立つ方なので体感的にそのことを知っていました。

 お盆に岩手に帰った時には、夜遅くまで家の商売の手伝いをして、夜中の十二時頃に独りで墓参しました。

 墓地には誰もおらず、お盆用に敷設した街灯も落ち居ているのですが、そんなことは気にならない。

 墓地は幽霊などは出ぬことを何となく知っていたのです。

 怖いのは墓地の雰囲気や幽霊が出ることではなく、周囲が暗いので何かに躓いて転んでしまうことでした。

 

 さて、墓地は元々「幽霊が出難い」ところですが、もし然るべき移転の手続きをせず、墓地を崩したなら話は別です。

 眠りを妨げられれば、死者だって怒ろうというものです。

 

 さて、今日の怪談の本題はこれからになります。

 どんな状況でも、それが毎日起きていることなら、人は次第に環境に慣れてしまいます。

 当事者であるはずの私も驚きを感じてしまいますが、きちんと決まりを守れば過度に気にする必要もありません。

 この年が終わる頃には、私はすっかり寮の幽霊に慣れてしまい、自分なりの対処法を習得していたのです。

 私は夜の間にはほとんど眠らず目覚めており、朝まで勉強するようになりました。

 昼の間にはあまり幽霊が出ないことが分かったからです。

 ただ、日中でも深く眠りが深すぎると、「声」が聞こえて来ることがありますので、疲れを極力貯めぬようにしました。

 さらには頻繁に周囲の気配を確かめます。

 背筋がざわざわした時には、「今は勉強しているから邪魔をしないでくれ」と言葉に出して言うようにしました。

 きちんと相手の存在を認め、人に対するのと同じように丁寧に接すると、案外、幽霊は悪さをしないのです。

 無闇に恐れず、きちんと向き合うと、関係がこじれることが少ない。これは相手が人間の時と同じです。

 そのことに気付いたのは、冬が近くなった頃のことでした。

 

 他の寮生も幽霊対策を覚えてしまうと、夜中に寮を脱走しました。夜の外出は禁止事項ですから、寮長や舎監に見付かれば、こっぴどくどやされるのですが、窓から外に出れば、中々気付かれません。外にはすぐ墓地がありますので、その間を通って行けば、まずは見つからないのです。

 窓を開くと目の前に墓地がある環境でしたので、それも日常の風景になったのです。

 斜面を降り墓地を抜け街道に出ると、そこは青梅街道です。ここにはラーメン屋の屋台が車を停めていたので、夜中に腹の空いた寮生はその屋台でラーメンを食べました。

 これが一部の寮生の楽しみでした。 

 寮生の中にはこの屋台できっと酒を飲んだ者もいただろうと思います。

 

 実は今回、私の語る「怖い話」は寮に出る幽霊のことではありません。怖ろしい思いをしたのは、この街道沿いに立つラーメン屋の屋台のことです。

 その年の冬に「ある事件」が起きたのです。

 青梅街道筋に店を出していた屋台の店主が人を殺し、その被害者の手首を出汁に使ったラーメンを客に出していた。

 これは「青梅街道手首ラーメン事件」)として報道された、かなり有名な事件です。

 犯人は死体の処分に困り、証拠隠滅のためにそうしたのでしょうが、そうとは気付かずにそのラーメンを食べさせられた客が少なからずいるのです。

 その報道が流れた時に、寮は大騒ぎになりました。

 「青梅街道の※※市の※※交差点近くに出ていた屋台で」とテレビが伝えたからです。

 

 「もしかして、俺たちが食っていたのは・・・」

 そんなことが事実であれば、それこそ恐怖そのものです。人肉の出汁を飲ませられていたとなれば、気色悪いこと甚だしい。

 ですが、これを捨て置いたままでは、その先ずっと不快な思いを抱いて生きることになります。

 知りたくない気持ちもあるわけですが、私はそれが事実かどうかを詳細に調べてみました。

 すると、その手首事件の屋台は、寮のすぐ前ではなく、数百㍍ほど離れた交差点近くに出ていた別の屋台でした。

 私がそのことを他の寮生に伝えると、皆が「よかった。本当によかった」と胸を撫で下ろしました。

 

 翌年の春に大学に合格し、その寮を出ることになりました。その寮を去る時に、私はやはりほっとしました。

「これでもう窓ガラスの外に幽霊に立たれずに済む」ようになると思ったからです。

 実際、新しい部屋では何も出ず、夜の間にもゆっくりと眠れるようになりました。

 はい、どんとはれ。  

 

◆後書き

 この話は私自身が経験した実体験談で、内容に脚色はない。

 ブログ「日刊早坂ノボル新聞」に掲載した「怪談・寮の出来事」を、今回新たに書き直したものだ。

 さて、学生寮を出てからは、その寮の生活のことは「あまり思い出したくない記憶」として、数十年間も忘れたままだった。

 平成末年に、「あの場所はどうなっているのか」と疑問に思い、あの地を訪ねた。

 「あの時の忌まわしい記憶」から完全に開放されることと、駅前にあった町中華が残っていれば、その店で「天津丼」と「海老炒飯」を食べるのが目的だった。

 駅を出て青梅街道沿いに歩いたのだが、しかし、あの寮があった辺りには、大きなマンションが建っていた。墓地の山の残りの半分もすっかり無くなっていた。

 聞くところによれば、予備校の寮は、しばらくして売却され、ある専門学校の寮になった。そして、その後二十年くらいして、寮の建物は解体されたようだ。

 駐在に聞いてはみたが、既にその寮があったことも今では分からなくなっていた。

 またかつて町中華があった辺りには、別の店が建っていた。

 

 今は墓地も寮も無くなり、巨大なマンションが建っている。

 だが、私の直感では、あそこでは今も幽霊が出るのではないかと思う。

 こういう案件はいざ拗(こじ)らせると、そこを浄霊するのは、一筋縄では行かなくなる。

 その証拠に、その分譲マンションを検索すると、一年を通じ「売り物件」の広告が出ている。

 恐らくは入居した人が異変に気付き、すぐに出て行くのだろう。そんな人は、幽霊話は不利になるから、もちろん、売却の際にそんな話など塵ほどもしないだろうと思う。

 

 物語としてスッキリしないのは、これが実体験だからということだ。

 今はある程度こういう案件に対処できるようになっているが、何十何百霊が懲り固まっているのでは、さすがに分が悪い。