日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎『怪談』第一話 赤い服の女   早坂ノボル 

◎『怪談』第一話 赤い服の女   早坂ノボル 

 これは大学時代に、私と友人が実際に経験した話です。

 ある夏の日の夕方、悪友の北川から急に電話が掛かって来ました。

 「おい。これから遠野に行こう。向こうで小林が待っている」

 小林というのは、私や北川の仲間です。その小林の父親が遠野に別荘を買い、今は小林一人がそこに遊びに行っているという話でした。

 「だから、今後はその別荘を好きに使える。今からあいつのところに行こう」

 「もう遅くないか。これから出発すると、向こうに着くのは夜中の二時三時だ」

 この時、私たちがいたのは首都圏でした。

「ああ。深夜には着くだろうから、あっちで寝よう」

 しかし、私のアパートは埼玉西部にありましたから、一旦、逆方向の都心に向かい、そこから高速に乗り、東北に向かう必要がありました。

 「なあに、夜通しぶっ飛ばして行けば良いんだよ。第一、俺はもうお前のアパートの下まで来ている。すぐに仕度して出てこいよ」

 北川はせっかちで、私の部屋の前まで来てから電話をしていたのでした。

 

 北川に言われるまま直ちに出発したのですが、仙台を越え岩手に入った頃にはやはり深夜になっていました。それから高速を降り、遠野に向かう峠道に差し掛かった時には、既に二時を回っていました。

 ところが、高速を降りると、幹線道路に事故渋滞があるのが分かりました。事故車両の片づけにあと数時間かかる模様です。

そこで私たちは、今では殆ど使われなくなった旧道に入り、峠を越えることにしました。

その方が小林の別荘に行くには近かったのです。

 小林の別荘は、正確には遠野の先で、峠を越えたところにあったのです。

 夏とはいえ、既にお盆間近です。夜半を越えると気温が下がるようになり、この夜にも少し霧が出始めていました。

 元々、街灯のない山道だった上に霧が出たものだから、自然とスピードを落として運転することになります。前が見えないのに速度を上げると、崖から落ちてしまう可能性があるからです。

 

 旧道なので街灯も疎らです。暗い峠道を私たちの乗る車だけが進みます。対向車は一切来ませんでした。

すると、ここで徐に北川が声を潜めるように話し始めたのです。

 「お前はこの地の育ちじゃないから知らんだろうが、この旧道にはアレが出る」

 「アレって何だよ。まさかアレか」

 この季節に「アレが出る」と言えば、幽霊と相場が決まっています。

 「そう幽霊だよ。通説によると、この峠を夜中に越えると、頂上付近で道端に女が立っている。髪の長い、赤い服を着た女だ。そいつは車を見ると手を上げるんだ。まるで、『停まってくれ』と言うようにな。だが、こんな人家のない山の中に、女が独りで立っている理由がないだろ。車の運転手は気持ち悪がって、女を無視して通り過ぎようとする。女の脇をやり過ぎたところで、ついバックミラーを見ると・・・」

「おいおい。今、ちょうどその峠を越えようとしているのに、勘弁してくれよ。その先はどうせロクでもない、怖ろしいことが待っているんだろ」

 「車のすぐ後ろを、もの凄い形相をした女が両手を上げながら追いかけて来てるんだ」

そして、運転手(ドライバー)が思わずアクセルを強く踏むと、すぐ先が急カーブになっていて、車はそこから崖下に落ちてしまうのです。

北側の語った話は、世間によくあるごく普通の怪談です。

「だから、運転手たちは、夜はこの峠を避け、遠回りをしたんだよ。特に新道が出来てからはな」

 私はここで北川の話の筋立てに気がついた。

 「お前。この話の核心は、早く通れる新道が出来たから、運転手たちがただ単に新道を通るようになった、ということじゃねえのか。要は、避けているのじゃなく、便利になった近道を選んでいるという意味だ」

 北側は「バレたか」と言うように舌をチロッと出しました。

 「ま、そうとも言う。高速から峠を越えるにはにはどうやったって新道の方が速く着くもの」

 「それじゃあ、この『峠の幽霊』ってのも全部作り話か」

 「いや、その話は実際にある。もちろん、あくまで怪談の類だ。だって、この峠の周辺にも人が住んでいるからな。人気の乏しい峠でも実際にはあちこちに人が住んでいる。ここは地元の住民がいて、そのひとたちが普通に暮しているところだ。もしそんな幽霊が現実に出るのなら、とてもこの近くでは暮らせない。すなわち、怪談なんて、所詮はそんなものだってことだよ」

 「それもそうだな」

 相槌を打ったものの、私の胸の動悸は治まりませんでした。

 私の郷里にも、いわゆる「心霊スポット」というものがあるのですが、その近くにも人は住んでいます。ところが、そこに住む住人にとっての「スポット」は自分が生まれ育った場所なので、まったく平気です。そのことを幽霊の方もわきまえているのか、どういうわけか地元の人の前にはほとんど出ない。かたや通り縋りの者の前には時々出る。世間に知られた『スポット』でも、地元の者はそこがそれと言われていることを知らなかったりします。

 地元住民とスポットの幽霊とは、半ば共存の関係にあるのです。

 「でも、俺たちは余所者だよな。そもそも、ここの人は夜中の十二時過ぎにここを越えたりはしないわけだし。この時間にここを通るのは余所者だけだ。だから幽霊に出会う機会も増える。さっきの話と同じで、表裏の関係だ」

 

 ここで車は峠の頂上付近を通ろうとしました。

 道はいよいよ細く狭くなり、両脇の草が道路の上に被さるようになって来ました。手入れが行き届かなくなり、草を刈る手が足りぬので雑草が伸びたいだけ伸びています宇。

 片側の叢のすぐ右側は崖下なので、よくよく注意する必要が生じました。

 頂上を越えると、すぐに道が下り始めたのですが、車のヘッドライトが助手席の外の草を照らした時、私は思わず声を上げました。

 「わああ」

 ライトが草叢に当たった、その瞬間、草葉の間に人の顔が見えたように思ったのです。

 その真っ白な顔は、車からほんの数メートル左手に見えました。

 「おい、北川。今、誰か人がいたぞ」

 「え」

 私の言葉に応じ、五十㍍ほど先で北川が車を停止させました。

 しかし、北川はすぐにくすくすと笑い始めます。

 「お前。俺の怪談話に乗っかって、話を盛ろうとしてるな」

 即座に私はそれを打ち消しました。

 「いやいや、冗談ではなく本当だよ。俺はそこの叢に女がいるのを見た」

 すると、北川はダッシュボードから何かを取り出し、運転席のドアを開きました。

 「じゃあ、写真を撮っとこう。もしかして、幽霊の姿が写真に撮れるかも知れん」

 

 しかし、その時、私はサイドミラーで後ろの様子を見ていました。

 で、私はすぐさま叫びました。

 「やめとけ、北川。今そいつが道に出て来たぞっ」

 私たちのいるところから三十㍍ほど後ろの道路脇の藪から、女の頭がずりずりと這い出て来て、道の上に俯せになりましいた。女は路上をのたくったと思うと、ゆっくりと道の上に体を起こしたのです。

 その女はよろめきながら立ち上がりました。

 それがたまたま電柱の近くで、小さい蛍光灯の灯りの下に入ったので、女の姿が見えました。

 真っ赤な服を着ています。

 「うわあ。北川、赤い服の女だ。早く逃げよう」

 北川は半開きのドアから顔を出し、後ろの様子を確認すると、すぐさま席に戻りました。

 北川も自分の目であの女を見たのです。

 

 「まじかあ」

 北川が慌ててギアを入れようとしますが、うまく入りません。 北川の車はオートマではなくマニュアルでした。

 その時、私は後ろを向いて、後部ガラス越しに後ろの様子を見ました。背中を向けたままでは余計に怖ろしく、女を見ずには居られなかったのです。

 女は道の上に立ち上がると、私たちの方に手を伸ばし、何事かを叫んでいるように見えました。

 私の頭の中にこんな言葉が響きます。

 「待てえ。私も連れてけえええ」

 

この時に初めて女の全身が見えたのですが、この女は夜目にも鮮やかな真っ赤なワンピースを着ていました。

まさに怪談話の通りです。

 長い髪をした、赤いワンピースの幽霊がよろよろとよろけながら、一歩一歩、車に近付こうとしていたのです。

 何から何まで「峠の怪談」に合致します。

「北川。早く行けよ。追い付かれるぞ」

 私がそう叫ぶのと同時にようやくギアが入り、北川が車を発進させ、私たちはその場を逃れることが出来たのです。

 

 私たちは車を飛ばしに飛ばして、ようやく小一時間後に小林の別荘に着きました。

 カーナビがうまく働かぬ山の中でしたので、右往左往したのです。

 「いやはや、本当に肝を潰した。こんな怖ろしい経験は人生で初めてだな」

 別荘に入ると、すぐさま小林に峠の幽霊の話をしたのですが、やはり小林は信じません。

 この手のことは、自分自身が実際に経験してみないと実感がないのです。

 

 しかし、本当に怖ろしい思いをしたのは、その別荘でひと寝入りした後、翌朝に起きた出来事の方でした。

 私と北川が目覚めると、既に昼を過ぎていました。何気なくテレビを点けると、午後のワイドショーである事件のニュースが流れて来たのです。

 「今朝九時半頃、※※峠の路上で女性の遺体が発見されました。女性はタナカ・ミチコさん二十四歳で、タナカさんは一昨日、花巻駅を出て帰宅途中にワゴン車に乗る何者かに拉致され、以後、行方が分からなくなっていました。犯人はタナカさんを連れ去り、危害を加えた上で、峠の崖から突き落とした模様です。死因は今のところ、出血性ショックと見られています。警察は遺体遺棄事件として捜査を始めています。現在指名手配中のタツタツギオの手口に似ていますので、お近くにお住まいの方は警戒を怠らぬようにしてください」

 このニュースを観て、私は思わず北川の顔を見ました。

 話された状況が昨夜の出来事に詳細まで合致していたからです。

やはり北側もそのことに気付いたらしく、顔が真っ青になっていました。

 「おい。あれは幽霊なんかじゃなかったんだ。あの女は連れ去り事件の被害者だった。服が赤かったのは、犯人に暴力を加えられたせいで、大量に血を流したからだった」

 赤いのは服の色ではなく血の色だったのです。

 私たちは、本当に怖ろしいことに、「息も絶え絶えな被害者を見捨てて、その場に置き去りにして逃げて来た」のでした。

 もしかすると、あの時すぐに病院に運んだなら、その女性の命は助かったのかもしれません。

 さらに女性が生きていれば、犯人の情報が入手出来、犯人が捕まったかも知れませんが、死んでしまったので、証拠が挙がらず、今も犯人は野放しのままです。

 結局は、私たちは被害者を見殺しにするとともに、犯人を取り逃がす手助けをしたようなものでした。

 

 その日から七八年の月日が経ちますが、私は今もその時の出来事を夢に観ます。

 夢の中で、峠道に立つ「赤い服の女」は、両手を大きく広げながら、私の方に駆け寄って来ます。

 そして女は眼を真ん丸に見開き、両手を掲げて叫ぶのです。

 「助けて。どうか助けてえ。私のことを見捨てないでええええ」

 いつか自分が死ぬ時まで、私はこの夢に悩まされ続けるような気がします。

 はい。どんとはれ。

 

◇後記

 これは、ウェブページの早坂ノボル「日韓早坂ノボル新聞」に記載した「赤い服の女」という記事を書き直したもので、実際に起きた出来事を下敷きにしています。

 現実の体験は、深夜二時頃に「峠越え」の道を車で走っていたところ、「赤いワンピースを着た女性が独りで歩いているのを間近に見た」というものでした。

 周囲五キロに人家はありません。灯りが無いのでよく見えず、女性のすぐ脇をすれ違ったのですが、女性はうつむいたまままったく反応しませんでした。

 そこで、これが幽霊ではなく生身の人で、かつ被害者だったらと着想しました。

 

 幽霊を見るのは、自分だけの話なので他人は関係ないわけですが、それが幽霊ではなく「死にそうな人」でそれを「見捨てていたことに後から気付く」のは、本当に寝覚めが悪い話です。厳密には「怪談」ではなく、「怪談めいた居心地の悪い話」になります。