◎怪談 第九話 「真夜中の宴会」
◎怪談 第九話 「真夜中の宴会」
これは私が大学生の時に体験した話だ。
夏休みにシュラフひとつを持ち、青函連絡船に乗って、北海道に渡った。
宿を予約しておらず、夜中になると、公園とか駅の前で眠ることが多かった。
各駅停車でゆっくりと北上し、各地を見て回ったのだが、幾日目かに、札幌を過ぎ登別に至った。
登別に着いた時には夕方の七時過ぎになっていた。
「たまにはどこかに泊りたい」と思ったのだが、観光案内所はもう閉まっていた。
となると、また駅前のコンクリの上で寝ることになる。
「ま、それも仕方ない」と思いつつ、改札を出ると、すぐ前に法被を着た男性が立っていた。
「泊るところある?二食付きで三千円でいいけど」
当時としてもえらく安い。登別は温泉地だと思うが、その安さとは。
マイクロバスで送ってくれると言うので、そこに泊ることにした。
布団で寝られるし、風呂にも入れる。
その旅館へは、凄く長く掛かった。四十分は車で移動しただろうか。
たぶん、登別市内から離れた別の町にある。
旅館の前に着いたが、築後六七十年は経っているような古びた佇まいだった。
部屋数も少なく、きっと十部屋くらい。
玄関を上がると、昔風の帳場があり、すぐに階段だ。これも昔風だった。
女将さんが「夕食の時間は過ぎていますが、お即時を部屋までお持ちします」と言ってくれる。
部屋は二階で、六畳くらいの広さだった。
先に風呂に入りたかったが、すぐにご飯が来た。
夕食は宿賃の割には充実しており、おかずが沢山ついていた。
「なるほど。料理が良くなければ、ここには来ない」と納得した。
風呂はひとつだけで、男女共用だから、他の客が入っている時には入れない。帳場に「風呂に入る」と言伝てると、入り口に札を下げてくれ、その間は他の客が入れぬ仕組みだった。
風呂自体が小さくて、一度に二人しか入れぬし、そもそも沸かし湯だった。
近隣の町から、登別の駅までわざわざ集客に行っていた理由はそれだった。週末だったし、温泉旅館にあぶれた者も居る。そんな客を拾いに行くわけなのだった。
それでも、一泊三千円だから文句はない。料理もまずまうで、あの料理なら、二食の食事代で三千円を超える。
かなり昔だが、それでもビジネスホテルの素泊まり宿料が四五千円くらいだった時代だと思う。
疲れていたので、風呂の後で部屋に戻ると、すぐに寝入ってしまった。
二時間くらい寝たと思うが、夜半に目が覚めた。
時計を見ると、夜中の一時を過ぎていた。
トイレは部屋には無く、共用トイレが廊下の端の方にあると聞いていた。
私は部屋を出て、そのトイレに向かうことにした。
途中の廊下がやたら長く、左側には座敷が二つ並んでいた。
宴会用の座敷で、料理が良ければ、地元の宴会が入るから、この旅館の商売の基本は宿泊客ではなく宴会の方らしい。
ひとつを過ぎ、奥の方の座敷の前を通ると、中から声が漏れて来た。
酔っぱらったオヤジが「俺がなあ。※※で※※すると」とがなり立てる。
すると、四十くらいの女性が「やだあ。※※ちゃんは※※※※」みたいな嬌声を上げていた。
概ね三十人くらいの集まりのようだった。
ワアワア。キャアキャア。
深夜の一時過ぎなのだが、私はそれほど疑問に思わなかった。
「俺の田舎でも冠婚葬祭の時には遅くまで飲むが、それでも十二時くらいまでだよな」
ま、地方によっては、夜を徹して、という地もあることはある。
そんなことを考えながら用を足した。
すっきりしたので、部屋に戻ろうとしたのだが、廊下に出ると、さっきとは雰囲気がまるで違う。
「何だろ?」と思ったが、すぐに「声が聞こえぬ」ことに気付いた。
ほんの一二分前には酔っ払いたちの声が聞こえていたのに、今はまったく聞こえない。
おかしいぞ。
疑問に思うと、確かめてみたくなってしまう。
先ほど騒がしかった奥座敷の前に来たところで、襖を開けて中を見た。
そうしたら・・・・。
そこには誰もいなかった。
真っ暗で、だだっ広い空間が広がっていただけで、宴会をやっていた形跡もない。
「えええ。それじゃあ、さっきのは何なの?」
オヤジの猥談や、女性の嬌声が耳に残っているのに、今は気配すらなかった。
部屋に帰って考えたが、なるほど、普段から客が少ない理由が分かった。
この旅館は、とにかく気色悪いのだ。
目覚めて、それに気付いてしまうと、今度は寝付けなくなる。
結局、私は朝まで起きていた。
そもそも二階に泊っていたのは、私一人だった。
旅館全体でも、もう一組の母子がいただけだった。何か用事があって、近くに来たが、やはり私と同じように、たまたまこの旅館に泊まることになったのだ。
翌朝、私は早々に登別駅まで送って貰った。
何年か後に、ネットで「北海道での怖い体験談」を読んだ。
ある人が旅館に泊まったが、寂れた旅館で、どこもかしこも気色悪い。
外に出て散歩しようとしたら、庭の先で女の人が手招きをするので、そっちについて行ったら、草叢の先が急に崖になって落ちていて、危うく転げ落ちるところだった。先に進んだ女性はどこに消えたのだろう。そんな話だった。
その話に出て来る、旅館に関する記述が私の体験と同じだった。年配の女将と、客引きの男性、あとは、仲居さん一人しか人の姿が見えない。玄関や中の間取りも同じ。
たぶん同じ旅館で起きたことだと思う。
「元々人のいない筈の場所で、わやわやと声が聞こて来る」類の経験が幾度かあるが、旅館でこれと同じようなことが起きたのも三度ある。青森では、まったく同じような「宴会」だった。
岩木山の近くのどこか知らぬ旅館に泊まったら、やはり真夜中に宴会の声が聞こえた。
この手の出来事はは、その旅館が新しい・古いに関わりのないものらしい。
どれかひとつのはっきりした因縁によるものではなく、あれやこれやと絡み合って起きるもののようだ。実際、新築のホテルに泊まった時でも、八階の外壁の外側から「助けて」という声が聞こえたことがある。声が聞こえたのは端部屋の壁の外からで、そこは空中だ。
映画の『シャイニング』には、六十年前のパーティの様子が蘇る場面があるが、あれを観る度に自分の経験を思い出す。生きている人と同じように見えるし聞こえるから、その場では「恐怖」心を持つまで行かず、「不審に思う」くらいだ。だが、逆にそれだけに余計にリアリティを感じる。
耳に刺さるほどの喧騒だった。
後記)脚色の全くない地味な話だが、全て実体験だ。この経験から数十年間は旅館に泊まると、少し緊張した。
あの座敷に似た広間を見ると、その都度何気なく写真を撮影したが、時々、でっかい煙玉が写った。
自然現象とは言い難い撮影条件だ。おそらく人が頻繁に集まる場所には、人でない者も集まるのだろう。集合写真に余分な人影が混じることがあるのと同じ傾向だ。
注記)この話はブログに掲載した過去記事を採録したものです。