◎霊界通信 R070727 「霊友を知る」
◎霊界通信 R070727 「霊友を知る」
半年くらいの間にPCが3度壊れ、HDDが破損したので、過去の画像ファイルの大半が失われた。自分にとって大切な画像は、ブログやSNSの記事から拾ってくるしか方法がない。そこでまず「自分に近しく、仲間のようなあの世の存在」を取り戻すことにした。
いつも陰日向に守ろうとしてくれる者で、世間的には「守護霊」と呼ぶ者に近い。
ちなみに、私としては「守護霊」のように常に支援してくれるような存在はいないと思う。母親のように先輩のように見守り、たまに助言はするが、どう生きるかは本人に任されている。生き方死に方は自己責任だ。
さて、私には確実に三人の仲間がいる。
1)お稚児さま
従前から、その場にはいない子どもの声が聞こえることがあったが、想像や妄想ではない存在として意識するようになったのは割と最近だ。
これはある出来事をきっかけとする。
十年くらい間に、岩手の国道四号を二戸から盛岡に向かって南下していたが、途中で当時の持病のひとつが痛み出した。具体的には胆嚢と脾臓の筋膜腫だが、どうにも運転出来なくなったので車を寄せる場所を探したところ、不意に「あそこに寄って泉の水を飲めば治るよ」と子どもの声で言われた。声は五歳くらいの女児のものだ。
顔を上げると、御堂観音の看板があったので、そこの駐車場に車を入れた。観音さまは仏神だが鳥居がある場合もあり、ここもその一つ(神仏同居)。
境内には「ゆはずの泉」があり、北上川の源泉となっている。そこで泉の水を飲み、また幾らかをペットボトルに汲んで持ち帰り、それでコーヒーを飲んだ。
神社を出る時には持病の痛みが消えていたが、幾度か水を汲みに行き、お茶やコーヒーを淹れるのに使用したら、ひと月ふた月の間に筋膜腫が完治してしまった。
このことで「女児」の存在を身近に感じるようになった。
令和六年になり、旅館で撮影したガラス画像の中に、女児を捉えることが出来たので、実在することが分かった。
念のため、過去の画像を調べてみると、その六年前に同じ場所で撮影した画像の中に、その子がいた。撮影は平成31年だが、その子が傍にいたことに気付いたのは、六年後だった。
それ以後は認識しやすくなり、夢にも出るし、時々、手に触れて来るのを自覚するようになった。女児はあの場所にいたのではなく、私の傍にいたのだった。
なお私の「お稚児さま」は下右の画像で言えば、右側のベンチの女児だ。
2)巫女さま
平成二十八年頃から、画像の中に白い着物を着た女性が現れ始めたのだが、複数いたようで、着物の女性、巫女姿の女性の場合があった。
鮮明に捉えたのが令和元年で、ある入浴施設の前で撮影した。数日前に同じ場所に立ち寄ったが、良からぬ幽霊に寄り憑かれたようで、体調が悪くなっていた。苦し気な老人の霊で、これも画像にきっちり残っている。よほど良くない者だったらしく、次に訪れた時には、私の背後に白い着物を着た女性が現れた。とりわけ手が鮮明に見えており、私の手と鎖のようなもので繋がれている。今はその鎖が「この者は私の側の者だ」と示すものではなかったかと思う。
過去に遡って検索すると、巫女姿の女性は、繰り返し姿を見せている。
猫を使いとして送ったのもこの巫女さまだと思う。
3)猫
十年以上前に心臓の治療を受けたが、経過が思わしくなく、時折、心房細動を発症した。胸が苦しく、平地を歩くのも容易ではない状況だ。
そこで「余命は僅か」と悟り、神社やお寺を回ることにした。境内で暫く過ごせば、心が落ち着くためだ。
そんな時に日高市の高麗神社を訪れると、鳥居を潜ったすぐ先の樹の根本に猫が蹲っていた。その猫は私を見ると、すぐに立ち上がり、私を先導して神殿の前まで連れて行ってくれた。
その日からその猫(名はトラ)に会うために、この神社に頻繁に参拝した。
多い時には1年に150日参拝したが、五六年が経過すると、何時の間にか心臓の具合がよくなっていた。たぶん、最初の一年目には歩けるようになったと思う。
令和初頭に猫は老衰で死んだが、時々、この猫を身近に感じることがある。
最初の出会いの時に、妻が奇異に思い、背後から撮影していたのだが、今見ると、神殿の階段のところに影が見える。おそらく巫女さまで、巫女さまが猫を差し向けてくれたのだと思う。
今改めて思い出してみると、その時々において「同時進行的には、その存在にまったく気付いていなかった」と言える。そもそも「あの世」の存在を受け入れるのには抵抗があり、殆どの人の認識は「怪談」話程度だ。私も例外ではなく、巫女さまやお稚児さまに会うまでは、あの世を最も疑っていた者の一人だった。
だが、危機に面し思い悩んだ時には、さりげなく示唆を与えてくれる。
手を出して助けてくれることは少ないが、自力で立ち直れるように見守っていてくれるような気がする。
たぶん、私だけでなく、誰にも「寄り添い、応援してくれるあの世友だち(霊友)」がいると思う。大半の人があの世を見ぬようにしているから、気が付かないだけだ。
瞼を閉じ、耳を塞いでいれば、その存在を知ることは出来ない。
過去、現在について、よく思い返し、注意深く「しるし」を探せば、きっと見つかる。「あの世友だち(霊友)」の素晴らしいところは、当人がどんな状況でも見捨てぬことだ。
人間の友だちは、死ねば関係が切れるが、 霊友の関りは死後も続く。
今、私には危機が来ており、ちょうど猫のトラに初めて会った時の状態に戻っている。このままこの世を去るかもしれんし、もう少し踏みとどまるかもしれん。
いずれにせよ、己を受け入れ、常に穏やかでいられるよう、「仲間が傍にいる」とイメージするように心掛けている。
このため、眠りから覚める時には、いつもお稚児さまの手の感触を右手に覚える。
さて、あなたは「あの世に繋がる友だち」を見つけられていますか?
(私らしくない言い回しだが、それもその筈で、これは巫女さまからのメッセージのようだ。)
注記)眼疾があり、文字がよく見えません。校正が出来ないので誤変換が多々あります。
追記1)猫に煙玉
これまで気付かなかったが、猫の画像の2枚目には、口元に煙玉が写っている。
この猫は頻繁にこれが写った。
ある意味、私と猫の共通点の一つがこれで、顔の周囲に煙玉が出るので、私はあまり被写体に入らぬようにしている。せっかく撮影しても世間的に使えなくなるためだ。