日刊早坂ノボル新聞

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◎霊界通信R070801「お稚児さま」

霊界通信R070801「お稚児さま」

 危機を回避する手立てを探るべく、この日も八幡さまに参拝した。

 撮影しながら、しばらくぼーっと過ごしたが、画像を開いてみると、何時になく煙(霊霧)が出ていない。

 「珍しいな。少なくとも煙がたなびいているのが写るはずなのに」

 気配を知ることが出来ない。

 

 ただ、動き出す前に、何となく隣に子どもがいるような気がしたので、再度撮影した。これは服の裾を引っ張られる感触だ。

 車に戻り、すぐに開いてみると、やはり隣に五歳くらいの子どもが見える(掲示画像では4枚目)。

 これは、何となくシルエットが見える人がいるかもしれん。

 私は視覚だけでなく、先に触感を得ているので、疑うことはない。視覚的に捉えられるかどうかは、それしか頼りにならぬ者にとって問題になる。そんなのは「その場の感覚」のうちの僅かな割合に過ぎない。

 

 「この子が傍にいてくれると安心するなあ」

 と思い掛けたが、しかし、それは私が不味い状況にあるという意味でもある。問題のない者には寄り添い支える必要がないからだ。

 もう一度、前のフラッシュ画像を点検すると、かなり見えにくい状態だが、あまり宜しくない者が寄り憑いているのが分かった。そんなのは画像で確かめずとも明白だ。今は身体由来のものではない病気が全身を蝕んでいる。

 

 私の額のところに「私のものではない眼」が写り込んでいるが、内部に入り込まれているのか。

 これを私のものではないと断言できるのは、私は弱視で常にサングラスをしているからだ。眼自体も女性のもののよう。

 周囲の気配に比べ、それほど悪意を感じないのが僅かな救いかもしれん。

 

 生きている者と同じで、悪意を持って人に近づく者は自分の正体を隠そうとする。幽霊も同じだ。

 そしてきれいごとを語り、自己を正当化しようとする。

 で、自分のやっていることは「天命」だとか「使命」だとかいうようになる。総てが、己の悪意を隠すための粉飾だ。

 「天命」が聞いてあきれる。

 お前に命令を出しているのは、間違いなく疫病神だわ。