日刊早坂ノボル新聞

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◎病棟日誌 R070809「夢の解読」

病棟日誌 R070809「夢の解読」
 前夜の叔母との会話を考えてみたが、同じ時期に「母(義姉)が家に来る」という状況が同じだった。その家は今は倉庫として使っており、住人はいないのだが、私の家族が大学生三年くらいまで暮らした。
 お盆が近いので、「故人が家に戻る」のは普通だが、細かい内容は「盆の里帰り」にはそぐわぬ部分もある。
 「誰かを迎えに来るという筋はある」わけだが、その候補の筆頭はもちろん私だ。

 頭を整理すべく、オヤジ看護師のタマちゃんに、叔母の件を話した。
 「叔母には虫の知らせがよく来るが、数日前に俺の母親が生前長く暮らした家に戻る夢を観たらしい。叔母はすぐに閃いて、俺に連絡を寄こした。「あなたは大丈夫か?」」
 ここまでは普通に夢の話だ。
 だが、その同じ時期に、私も母が「お盆には家に行くから」と言う夢を観ている。
 妙に符合している。
 おまけに、叔母も私も割と直観の働く方だ。

 すると、タマちゃんは「お母さんなら守ってくれに来たのではないですか」と言った。
 「ああ、それは生きている人の都合なんだよ。多くの人は死ねば終わりだと思う。だが、『守る』のは生かしておくこととは限らないさ。既に死んでいる者には、生き死にはあまり関係が無く興味が無い。守るのは、それを安らかに迎えられるということだ」
 いわゆる「お迎え」は、多く身近な人の姿をして現れる。これは恐怖心などを和らげるためのもので、実際にその人かどうかは分からない。姿を借りただけかもしれん。
 死に間際には、その匂いを嗅ぎ取って、幽霊やら「黒いひと」みたいな得体のしれぬ者がやたら集まるわけだが、そいつらに連れて行かれぬために、近親が先導する。
 ま、私は半分しか死んだことが無いから、正確なことは分からない。ここで必要なのは誰かが語る知識ではなく、実体験に基づく経験的知見だ。 

 「でも、必ずしも※※さん(私)のお迎えとは限りませんよね」
 タマちゃんにそう言われて、そこで気が付いた。
 母は数日中に郷里の元実家に現れるかもしれんが、それは何も「私を迎えに来た」と限られわけじゃない。
 私は「最もあの世に近い」状況にあるが、生き死には傍目の順番通りではない。
 そこで、病床からすぐに兄にメールを打った。
 「お盆にお袋が家に来ると言っている。叔母ちゃんも同じ夢を観た。俺や叔母ちゃんの夢は恐ろしいから、何かお知らせがある。お迎えなら俺が筆頭候補だが、必ずしもそう限られるわけじゃないから、親族の皆が気を付ける必要があるよ」
 すると兄は「今はどうにも頭が痛いし、眩暈がする」と返信して来た。
 「中高年なら慢性的な眩暈はメヌエル病のことが多いが、そっちは脳出血の既往症があるから、すぐに病院に行って」
 この日は伯父の四十九日で、十五日は父の三回忌法要だから、兄は何かと忙しい。
 私のように「社交は一切止めてます」と宣言していれば出なくて済むが、社会生活を円滑に進めるには義理や務めを果たす必要があるから、「ちょっとした無理」が重なる。
 危機はそういう時に来る。

 「生き死に」に関る私や叔母の意見は、誰も笑い飛ばすことはないから、兄もすぐに病院に行く。
 こういう時には週明けを待たずに、救急病院に行く必要があるが、ここから先は兄の判断だ。
 ここで納得したが、母が私や叔母にメッセージを送ったなら、必ずなおざりにしないし、それをきちんと想定される本人にも伝える。

 だが、もちろん、今でも候補の筆頭は私だ。
 心臓はいくらか持ち直したが、全身が弱っている。程なく足の指が二本無くなるし、来月には本格的な危機が来る。
 今も私の二㍍後ろには「黒い女」が立っている。