日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎霊界通信 R070811 「画像が変化している」

◎霊界通信 R070811 「画像が変化している」

 このところ、直観が復活して来たらしく、PC脇の受話器が鳴るようになった。

 この半年は殆ど鳴らなかったのだが、徐々に「チリン」となるようになって来た。

 幾度も記した通り、この受話器は回線には繋がっていない。

 

 ところで、示唆を含む夢を観たりするようになったので、親族や友人のために「お稚児さま(座敷童に同じ)」のキーホルダーを作っている。

 これまで四十人超に贈呈したが、うち二人からはお礼の連絡があった。

 一人の男性は病気で入院していたが、最後の帰宅をすることになった。お別れのための帰宅で、次に入院するともう戻っては来られない。

 家に戻った時に、この子どもの画像を見たら、「何となく楽になった」気がしたそうだ。それから病状が安定し、一年後の今も存命だ。全身が冒されており治癒はしないのだが、進行が止まっている。

 もう一人は私の同級生だったが、今年の春に奥さんが癌で亡くなった。

 昨夏に写真を送ったのだが、何か秘跡のような出来事が起きたとのことだ。詳細は聞けていないが、最後の日々は笑顔が絶えなかったらしい。ステージ4を宣告されてから十年以上も闘病生活を送っていたとのこと。

 

 キーホルダーに写真を入れていたが、ふと女児の足元に「窓」が開いているのに気が付いた。「窓」とは四角い枠のようなもので、デジタル画像には時々出る。信号の異常で機械的に生じるエラーのことが多いのだが、時々、別のものが写っていたりする。

 以前は気付かなかったが、男女の顔のようだ。ちなみに前が女で後ろが男。

 拡大画像で鮮明でないこともあり、「たまたまだろう」と思ったが、女の顔が私の家人に似ている気がする。

 そこで、元の画像に戻って確かめt5て見たが、こちらには別段以上はなかった。

 少しく考えさせられたが、ここで「あの世画像」は時間の経過とともに変化することを思い出した。

 実際、元の画像自体もかなり薄くなって来たし、写真出力すると、人影がおぼろげに変わっている。

 「おいおい。俺の許から去らないでいてくれよ。傍にいてくれ」と願った。

 生老病死は避けられないが、お稚児さまが傍にいれば、死後に悪霊となり無暗に祟りを振り撒かずに済むような気がする。

 そのためには、今のように「誰かのために幸運を分け与える」振舞をすることがプラスに働くらしい。

 実際、先週辺りから、気の持ちようが明るくなって来たし、夜も眠れないくらい足指に激痛が走っていたのに、今はその痛みが軽減された。

 治ることはないが、現状維持の時間を可能な限り引き延ばすことが出来れば、それでよいと思う。

 もう少し改善されれば、お寺に参詣し、死者たちのためにご供養を施すことが可能になる。

 

 掲示画像は元のものに近いものだが、青い枠の中には何も出ていない。

 キーホルダーに見える者とは違う。

 

 お稚児さまの姿を見て、如実に変化を感じ取れる人は僅かだ。これはお守りとは違って、持てばご利益があるという性質のものではないということだ。

 おそらく、何らかの心のスイッチに触れ、自己免疫力が高まったから病気の進行が止まったのだろう。

 いつも記す通り、「欲する」「求める」「願う」ことと「信じる」ことは、微妙にアングルが違う。言葉では説明出来ないが、「信じる」スイッチをうまく押せると、ドラスティックな変化が起きるのではないかと思う。

 お稚児さまが「してくれている」のではなく、心の中にあるスイッチを自分で押しているのだと思う。

 

追記)「窓」の一例

 ガラス窓の一部に、窓が開き、あちら側から少年がこっちを覗き込んでいる。

 周囲の景色とは独立しているから、たまたまそう見えたわけではないと思う。