◎マスバテ島の思い出(その1)
◎マスバテ島の思い出(その1)
人生の終盤に差し掛かったせいか、最近は昔のことをよく思い出す。
たまたまネット検索中に「マスバテへの航空券」というワードを見付け、三十年以上前に一度訪れた時のことを思い出した。
当時はまだ三十台で、企業主としてビジネスの素材を探していた頃だ。
義兄の知人が島嶼部に住んでいたので、その地を訪問すべく一緒にマスバテ州に行くことになった。
これまで私はてっきりそれが「マスバテ島」だと思っていたが、地図で見るとこれは割と大きな島だ。私が訪れた島は、人口が一千五百人くらいしかいない二キロ四方の小島だったから、実際には「マスバテ州マスバテ島のさらに支島」だった。
マニラから長距離バスに乗り、28時間くらいかかってルソン島の南端まで行き、そこから小舟に乗り四時間ほど海上を移動した。
それで着いたのが小さい波止場がひとつだけの小島だった。
船を降りると、島民が数十人ほど出迎え、皆が歓迎してくれた。首にレイでも掛けてくれるのではないかと思うほどだ。
外から人が来ることは滅多にないので、島の人々にとっては物珍しい客ということだった。
太平洋戦争中には、ここに日本海軍の補給基地があったそうだが、日本軍が撤退した後、私が「戦後初めてこの島を訪れた日本人」だということだった。
どんなジャンルでも「最初の」とつくと、何となく少し誇らしい気になる。ま、若いからよく飛び込んでは失敗した。
波止場から島の目抜き通りが五六十㍍ほど続くのだが、その真ん中に、義兄の知人の屋敷があった。
その知人はこの島の事実上の領主さまの血筋だということで、かつて18世紀にスペイン人が貿易港を築いていた頃に建てた砦の中に住んでいた。島全体がこの家のもので、住民は事実上の従属民だ。ただ住まわせてやっているだけではなく、教育や医療が必要な場合には、この領主が経済的支援をする。
日本では財を成すと、ロケットを飛ばしたり、それに乗ったりと自分のために遣うが、こういう国では金持ちは支援の必要な場合には、それに対応する。
善意と言うより、ある程度合理的な部分があり、仮に優秀な人材がいれば、これを最高学府に送ることで、その人材が官僚になるかもしれない。もしなれば、自分を支援してくれた恩人には、よりよい待遇を計らってくれる。いわば将来の投資だ。
迎えに来た使用人に案内されて、砦の中に入って行くと、まず中庭があった。建物はそれを囲むように三つか四つだったと思う。中庭には幾本か樹木が立っていたが、そのひとつに子山羊が一匹縄で繋がれていた。
まだ生まれて半年も経たぬ子山羊なので、母を求めて「メエメエ」と啼く。
「こりゃ可愛い」と少しばかり頭を撫でた後、館の中に案内された。
日本でも築百年以上の古民家があるが、そこはそれよりかなり古く三百年前だ。もちろん、当時のままなのは石垣だけで、建物自体は建て直されているか改修されている。
旅行自体は、義兄とその知人との三人で同行したのだが、マニラから島に向かう時には、「ごく普通のオヤジ」だったのに、館に入った途端に「御領主さま」に変貌した。
主人が戻って来たので、様々な人が表敬訪問に来る。
執務室みたいなところにその知人が座っていると、次から次へと訪問客があり挨拶をしていた。
一人はたぶんマスバテ本島にある短大の学長で、学校自体と関りが深いとのこと。学長が知人の帰島日時に合わせて訪問するとなると、知人は想像以上に有力者だった。
長旅だったので、案内された二階の個室で休憩したが、その部屋の窓から外を見ると、ちょうど先ほど通った中庭が見えた。
その庭の片隅に子山羊が引き出され、使用人三人がそれを囲んでいた。すると、私が上から見ている前で、その子山羊の首にナイフを当て、スッパリと切った。
「ゲゲゲ。これから食うやつだったのか」
屠畜を見るのは、子どもの頃に豚のを屠畜場で偶然見て以来のことだ。
夕方五時くらいに食事が出されたが、野菜と肉の炒め物が二三種とご飯だった。
「夕食が早いのは、この島には電気も水道もないからか」
たぶん、八時頃には寝るのだろう。
と思ったが、これは間違いで、この時のは間食の扱いだった。
七時過ぎになると、夕食の本番が出た。
野菜の炒め物や魚料理、そしてその後が骨付き肉の煮物だった。
齧ってみると、これが固くて粗い味がする。
実家が地域スーパーなので承知しているが、こういうのは屠畜したばかりの肉で、要は死後硬直したものを食う感じ。
肉やマグロなど大型魚は、冷蔵庫(または昔は専用の蔵)に吊るして二三日置くと柔らかくなる。
すぐに気付いたが、「これってあのちっちゃなヤギじゃんかあ」。
頭を撫でて、すぐに首チョンのあの山羊だ。
夕方の食事で既に腹がくちていたのと、殺したばかりの粗い山羊の味で、すっかり食欲が失せた。食えない。
だが、これは客人をもてなすための最大限の御馳走だから、そんなことは口にも表情にも出せない。
テーブルの下には飼い犬が二匹動き回っていたが、周りの人は食べ残した骨をその犬たちに放っていた。
義兄と知人が何やら話をしている隙に、私は皿から子山羊の肉を取り、さりげなく犬に食べさせた。
タガログ語の話は私には理解出来ないから、ホストと義兄に任せ、自分はポトン、ポトンとテーブルの下に肉片を落とした。
骨付き肉で、肉を齧った後は骨を犬にやるのが当たり前だったから、さほど目立つことなく、皿の肉を片づけることが出来た。
これが拙かった。
私の皿が空になったのを、その家の家族(たぶん、当主の母親)が発見し、「気に入ったからすぐに平らげた」と解釈したらしい。すぐに私の皿にお代わりをよそってくれた。
さすがに呆然とした。目の前がクラクラ。
島民は基本的に漁民で、魚を獲りマスバテ本当に持って行きそこで売って生計を立てている。他はココナツだ。
彼の国では、自生している果実は、基本的に誰が採ってもよいそうだが、ココナツは樹一本一本に持ち主が決まっており、勝手に採るとかなりの騒動になるそうだ。たぶん、確実な現金輸入がココ油の採取だからだと思う(想像だ)。
肉体労働が基本なので、皆がよく食べる。
世話になったのが二日間だが、朝は六時前にパンとコーヒーの軽食を摂る。これが朝食というわけではなく、八時頃に本当の朝食になる。ライスに魚料理など。
昼には昼食だが、朝二食食べているのであまり腹が減らない。
夕方五時には、ビールを飲んで普通の食事をするが、七時頃にまたもう一度夕食がある。
翌日の最後の食事はバーベキューで、鯛の仲間の姿焼きと、伊勢海老(ロブスター?)の丸焼きだった。
贅沢な印象だが、島の周りは海で、いつも普通に食べているらしい。
だが、遠浅の温い海なので、鯛もどきも伊勢海老もどこか泥臭かった。ここは一度、数日の間冷蔵冷凍を経た方が、臭みが抜けて美味い。
だが、漁業は有望で、冷凍施設と冷蔵トラックなどがあれば、魚資源を活用出来ると思った。マスバテには飛行場があるから、日本にだって送れるし、その輸送期間で泥臭さが抜ける。
だが、私みたいな個人商店規模のビジネスでは、資本力が追い付かず、ビジネス展開が出来なかった。
そもそも電気が無いから、発電施設から作る必要がある。(続く)
注記)眼疾があり文字がよく見えません。校正も出来ないので誤変換があります。
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