日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎マスバテ島の思い出(その2)

マスバテ島の思い出(その2)
 二日目の昼には、海岸まで涼みに行った。遠浅の海なので、五十㍍以上先まで腰の深さだ。だが、どこかでストンと深みに落ちるので、あまり沖には行けない。
 フィリピン人は殆ど海水浴をしない。
 泳ぐこと自体をしないのではなく、ホテルのプールなんかには、たくさん来ている。
 私はせっかくだからと持参した海パンを穿き、海に入ったが、義兄や知人は海には入らなかった。
 周囲を見ると、自然豊かで風光明媚な海岸なのに、そこで海に入っていたのは、十代の女子二人だけだった。
 しかも服を着たまま入っている。
 長袖のシャツを着てズボンを穿いたまま、海に入っていた。
 「泳ぎ難いだろうに」と思ったが、その理由は後ですぐに分かった。
 海水温が高いせいか、クラゲが沢山出る。で、毒性が日本よりずっと強い。
 ニュ-スでも話題になったが、いわゆる「殺人クラゲ」までいる。
 日本のエチゼンクラゲみたいにでかいサイズなら警戒も出来るが、「殺人クラゲ」は爪の先の大きさらしい。
 現地の人が「服を着て海に入る」理由は「死にたくない」からだった。
 たぶん、私は「刺されるぞ」と注意されていたと思うが、言葉が分からないから通じなかった。
 案の定、背中を二十か所くらいクラゲに刺されてしまった。

 海から上がったら、さっそく痛み出したので、義兄と知人に「やられた」と報告した。二人はいずれもマニラ大学の工学部の教授だったから、英会話は堪能だ。ま、フィリピン人なら英語で教育を受けたりしているので、都会なら多くが会話出来る。
 義兄は私の背中を見て、「ツイてるね。これなら死なない」とかナントカ言った。おいおい、先に教えろよな。
 「蝋燭のロウを背中に垂らせば、毒が分解されるから。ここの人にやって貰うといいよ」
 館に着くと、知人がすぐに家の者にそれを伝えたらしく、部屋にメイドが二人やって来た。
 まだ十六七の女子たちだった。
 身振りで「腹ばいになれ」と示されたので、ベッドにうつぶせに横になった。
 すると、一人が私の体を跨いで立ち、上から蝋燭の溶けたロウをたらーりたらーりと背中に落とした。
 これが二十か所くらい。
 その都度、「熱つつつ」と呻いた。
 その上、「この絵図は他人には見せられない」と思った。
 良いオヤジ(その頃はまだ若者だが)が、少女二人に囲まれ、背中に解けたロウを落とされて、ヒイヒイと呻いている。
 民間療法の力は凄いもので、翌日にはクラゲに刺された痛みはすっかり無くなっていた。

 この日泳ぎに行った海岸には、十七八世紀にはスペイン人、十三世紀くらい?には宋人が貿易港(補給基地)を築いていたそうだ。だが、遠浅で海路が入り組んでいるから、難破した船も沢山あり、「沖には何十隻も難破船が沈んでいる」そうだ。
 海岸で地引網を打つと、宋代の白磁なんかが割ときれいな状態で入るそうだ。これは実際に見せて貰った。浅い海だけに完品は難しいらしく、どれにもヒビが入っていた。

 三陸海岸で漁師が状態の良い宋磁を引き上げたことがあるが、人の背丈近いその花器を家の軒先に置いていた。たまたま、その前を通りかかった人が目に留め、「百万で売ってくれ」と金を押し付けて引き取った。これを買った人はすぐさま東京でオークションに出したが、落札価は九千万だったそうだ。
 それだけ状態の良い品は珍しい。
 その家に滞在中、子どもが訪ねて来て、「港で拾った」とスペインの1レアル銀貨を見せた。18世紀から19世紀の貿易銀で、世界に流通したが、海岸に打ち上げられたスペイン戦の残骸に挟まっていたと見える。海水に浸っていたのに、状態はかなり良かった。塩水だとすぐに劣化するのに、あれはどういう仕掛けなのだろう。
 「こんなのがボロボロ沈んでいるのなら、サルベージを商売に出来そうだ」
 そう思って、義兄に訊いてみると、実際、欧米から引き揚げ目的で人が来るそうだ。だが手続きの途中で中止する。
 この国では、埋蔵物があると、国が六割以上(確か)を接収するとのこと。引き上げ費用は相殺されぬから、ボランティアになってしまう可能性がある。船をチャーターし、ダイバーを雇っても、それに見合う財宝があるかは未知数だ。
 また、治安もあまり良くないから、お宝を引き上げているという噂が広まれば、大挙して強盗がやって来る。
 ま、一番の障害は殺人クラゲだ。