◎霊界通信 R070825 「2018年の出来事」
◎霊界通信 R070825 「2018年の出来事」
現状として危機の到来を予見しているのに、いっこうに打開策が見いだせぬ状況が続く。そこで、過去の似たような時に考えたことを振り返ってみることにした。何かヒントが得られるかもしれぬ。
あの世との接点が数多く発生したのは、なんといっても2018(平成31/例話元)年だ。
<1ー3月>
・煙玉(自然現象)
正月に神社に参拝したが、境内の画像にはけえ無理玉が出まくりだった。だが、冬の寒い時期で空気が乾燥していることと、その中に多数の参拝客がいて熱と水蒸気を発散させていることによる物理的効果だろうと思われる。高地とか、森の中、地下室みたいな場所では、この「空気圧」「水分」「光」の効果で、「蒸気玉」が発生するものと思われる。「心霊現象ではない」ことが大半だが、これは注意深く観察すると分かる。
・巫女さま、お稚児さまとの出会い
小鹿野の温泉旅館の玄関で撮影したら、ガラスの上方には女性の眼が、私の右横には赤いちゃんちゃんこを着た子どもが映っていた。眼はのちに「巫女さま」として現れる女性のもので、子どもはその仲間だ。いずれも私のソウルメイトだが、数年間は認知出来なかった。「お稚児さま」に至っては、存在に気付いたのはほんの一年前だ。
いつも助けてくれているのに、気付かずに申し訳なかった。
この地にいたわけではなく、この場所が「あの世との接点が生まれやすい場所」だったようだ。これより何年も前から、女児は私に声を掛けていた。
・ガラス窓に「その場にいない筈の人影」が写る現象
この年くらいまでは、私にはあの世の認識は世間の心霊現象に関するのと同程度の知識しかなかった。その認識が改まったのは、夕方五時の薄暗い時間帯に神社で撮影したら、窓ガラスにはっきりと人影と分かる姿が現れた。この時、この場にはあ私一人しかいなかったのは言うまでもない。
窓ガラスの中の世界を観察するようになった起点はこの時だ。
・「自分の姿が消えてしまう現象」
夕方、神社に行くと、既に神殿は閉まっていた。猫のトラがいたので、一緒に写真を撮ろうと、背後に猫が入るように、カメラを逆向けにして、私の顔と猫が同じ画像に入るような構図で撮影した。すると、フラッシュを使ったのに、私の顔は影だけだった。
おまけにその影は髪が明らかに長く、女性のするえっとに見えていた。
後になり、「女が私の顔の前に自分の顔を近づけていた」から私の顔が消えてしまったのだと分かった。鼻と鼻がくっつきそうな距離なので、構図を考えると気色悪い。
・「でっかい着物姿の女」
時々、私の頭の「二倍以上のサイズの頭を持つ女」が画像に写り込むのだが、これはこの年くらいに現れた白い着物姿の女だ。「白い着物」なら真っ先に「巫女さま」が思い浮かぶが、どうも顔の印象が違うし、そもそも着物が一枚着で左前だから、顔桶に入る時の装束だ。別に悪意はないらしく、私に何かを求めて近寄ったらしい。
後になり、私が「幽霊の側から見えやすい。見られやすい」類の人間だからだと分かった。三十歳頃に、ある霊媒師に言われたことと一致する。
ちなみに、それで楽しいこと嬉しいことは全くない。外出する度に連れ帰るので、家の中がいつもゴトゴトと騒がしい。迷惑なだけ。
<4-6月>
・私とそっくりなポーズをとる人影
この画像での判別は困難なのだが、私の右後方に、私と同じようにカメラを構える姿勢を取る半透明の人影がある。この時には、まだ私に似せてはいない様子で、ポーズだけをまねている。
・旅館の煙玉
温泉旅館の別館に向かう渡り廊下で、バラバラと煙玉が出たのだが、これも湿気を催しがちな環境であるため、何とも言えない。
ただ、ここは春先に、巫女さまお稚児さまが出たのと同じ旅館だ。
・巫女さまが立つ
同じ旅館に足しげく通うようになったが、この時には、すぐ後ろに「白い着物を着た女性」が立った。嫌な気配が全くなく、恐らくは巫女さまだと思う。
・うごめく人影
鮮明ではないが、私の周囲に人影が蠢く。こういう時には、音や気配、空気の動く漢字があるので、目視出来るかどうかはあまり関係が無い。往々にして触られるのだが、その際のヒヤッとした感触もそのことを裏付ける。もちろん、当事者的には、という意味だ。関りのない者はどういう解釈をしようが自由だ。(そもそも関りが無い。)
・こちらを見る視線
木立の間から、じっとこちらを見る視線がある。最初は奥の顔のようなものかと思っていたが、実際はその前の煙玉付近から見ている。
一時期、宿谷の滝に向かう道の途中に「穴(交流点)」があり、そこから幽霊が活発に出入りしていた。
・祈願するでっかい女
神殿の前には私一人しかいなかったが、何となく赤外線撮影をしてみると、そこにはいない筈の女性が手を合わせて拝んでいた。背丈や頭がかなり大きく、生きた人間でないことが一目瞭然だ。
・後ろに続く隊列
人気のない神殿前で撮影すると、私の後ろにぞろぞろと隊列が出来ていた。とりわけ、すぐ後ろには、私の姿に似せた者が寄り付いていた。
秋になりこの状況が鮮明に分かった。
・霊霧(または霊煙)
目視ではまったく何も見えないのだが、写真を撮影すると、空気中に白い煙のような霧のようなもやが渦巻いていた。赤外線撮影をしても同じものが写った。
ここ(御堂観音)は岩手の霊場のひとつ。
私はこれが「あの世(幽界)」の物質的基盤だと思う。
・サイズの合わない女
花畑を見学に行き、五十メートルくらい離れた丘の上から、家人を撮影した。
すると、同じ距離に立つ人々よりも、数段大きい女が家人とすれ違う場面をたまたま撮影した。推定190センチで、上半身しかない。
・私に化ける男
神社のガラス戸の前で撮影した。左右の戸の合わせ目で二重写りいているように見えるのだが、実際には片側のガラス戸に私が二人いる。
ポージングが似ているが、服装が微妙に異なるし、背後の男は帽子を被っている。
近づく対象に姿を似せる傾向は割と散見されるが、これは「相手と同化し、自我の中に入り込むステップ」なのではないかと考えている。他に理由が無い。
興味深いのは、近づくに従って、「少しずつ学習する」ふしがあることだ。
・父との実質的な別れ
コロナで介護施設が閉鎖される前に、父を連れて温泉に出かけた。
煙玉が出ているが、温泉の近くでは湿度に変化が起きやすいので、煙玉が発生しやすい。母が亡くなったので、その供養も兼ねていたが、父はかなりボケていたので、母が死んだことを理解していなかった。母の死を受け入れると余計に悲しくなるだろうから、私は母は存命のつもりで受け答えした。
晩年には面会が出来ず、さぞ寂しい思いをしたと思う。私は父母にとってたぶん一番の聞き役だった。
・寄り憑く幽霊たち
いつも気配を感じていると、もはや目視が出来るかどうかはどうでもよくなる。
息遣いのような波動が伝わって来るのだが、具体的な触感を理解したのは、これよりかなり後だ。稲荷の障りを受けた時に、「蜘蛛の糸が顔にかかった間食」を得たが、あれが幽霊が寄り憑く時の体感症状だ。興味深いのは、接触されると、何となく相手のことが分かることだ。
・自死した者が溺れる海
一時期、有馬ダムの湖岸に「穴」が発生していた時期があり、人に障害をもたらす惧れがあった。実際、湖岸の道路は繰り返し崩れて不通になった。
数か所に近づくと、最初は猫の鳴くようなかやかやという声が聞こえたのだが、これは女性たちが口々に「助けて」と叫ぶ声だった。
その多くが、黒いコールタールの海でもがいていたのだが、よく観察すると、その海は自死者の心が作り出した絶望から生まれたものだった。
「何故こんなところに」と疑問に思ったが、それが氷解したのは、警察の舟艇が仏を岸に運び上げる場面を見たからだ。舟は同じ岸に着けられるから、何時の間にかそこを中心に幽霊が寄り集まっていた。
週に一二度ずつ訪問し、お焼香をして慰めたのだが、異様な気配が消えるまで二年以上かかった。この時は我ながら、幾らかは足しになったと思う。
<七ー九月>
・湖岸に立つ女
その湖岸のポイントがこの地点で、橋の上から見下ろすと、女が湖岸に立っているのが見えた。目視で見えてしまうので、撮影したが、画像にはごく朧気にしか写らない。
目視で見えない時には画像に残り、目視で見える時には画像には残り難いという逆説ルールがあるようだ。
この地点に立つと、どこからか人の話し声が聞こえるが、対岸は百メートル離れているから、囁き声は通らない。改修工事によって、この地点そのものが崩され、それ以後、この女性は姿を現さなくなった。
・肩に男が乗っている
神社で何気なく、前の参拝客の背中を見ると、左肩に白煙が出ていた(目視)。
「あれあれ」と不審に思い、恐縮ながら背後から撮影させて貰った。
やはり白煙だが、ガラス窓の映像を見ると、白煙の位置には男の顔がある。
邪念を抱いているのは顔つきで分かる。祈願の時間がやたら長かったのだが、この女性は悩み事があってここに来たのだろう。
あまり宜しくない幽霊を抱えた女性には、顔つきに共通点があるが、皆が美人顔でよさげな風情だ。邪な者が寄り憑くのにもそういう背景または土壌があるのかもしれん。
参道を歩く時に、「わ、この女性はきれいだな」と思う人の肩には、大体変なのが乗っている。
・二人組の男
かつて私の前にお迎えが現れたことがあったが、それと似たような二人組を空港の中で見た。急いで撮影すると、薄らぼんやりと二人の姿が写った。すぐにその場を離れ、人の入る方に走った。「人を隠すには人の中」だと思ったのだ。
(この話を詳細に書いたが、お迎えの話はあまり語ってはならないらしい。電話がチリンと鳴ると、この説明が消失した。)
・ぺたべたと女が寄り添う
この頃には、光の加減で周りで何が起きているかが分かるようになっていて、この画像では私の後ろに「大きな女」がいる。今見ると真横にも女がすり寄っていたようだ。
「生きている女性ならいいのに」と思ったりもしたが、意に添わぬ相手なら、生きている女性でもお断りだと思う。自分の好きな相手が一人だけ傍にいてくれれば十分だ。
・幽界を彷徨う老夫婦
トラの神社で境内を撮影すると、時々、画像の片隅に高齢の夫婦が歩いている姿が入った。ところがその夫婦がいる位置がおかしい。空中だったり、位置とサイズがそぐわなかったりした。また、二人が目指そうとする方向には何もなかったり、山の斜面だったりした。
・悪魔アモンの登場
この頃には「自分の状態を観察する」という意味で、神社の神殿の前でガラス窓に映る自分自身を撮影した。これは赤外線写真だが、私を大きな手で掴むバケモノの姿が写った。今ではかなり薄れたが、到底、人間とは思えぬ。
「この先一体何が起きるのか」と驚いたが、別段、何も起きなかった。正確には、声が聞こえたり、何らかのサインが来るようになったが、悪さをするわけではない。
あの世では、かつては近いところにいたような気がする。
当人?が自称する名前は「ウモン」なのだが、語呂が良いので「アモン」と呼んでいる。この国には八百万の善悪があるから、実質的にそういう観念は通用せず、ただ因果応報のルールだけがある。アモンは「邪な心には不幸な結果をもたらす」執行者だ。
今は外国にいて、その国と民に鉄槌を下そうとしている。それほど遠くない将来に、その国は瓦解すると思う。
・右腕だけが膨れる
セルフ撮影の画像には、時々、私の右腕が膨れて写る。これも膨れているが、よく見ると猫の頭のよう。背後にあまり宜しくない影が取り憑いているところを見ると、トラが死後にも傍で守ってくれているようだ。「巫女さま」「お稚児さま」と共に、私のソウルメイトだと思う。
・男性の背後に付き纏う人影
老夫婦を頻繁に見ていたので、これもそのたぐいだと思い、前に夫、後ろに妻の幽霊だと見なしていたが、よく見ると、先頭の男は若者だ。
「ベビーカーを押す父親では?」という意見があったが、その後ろは明らかに老女で、前の男性の古紙辺りを掴んでいる。その老女には、これまた別の女がしがみついているから、とりあえず後ろの女たちはこの世の者ではないと思う。男性がこの世の者か、男性もあちら側にいるのかはこの画像では分からない。
いずれにせよ、この人影たちがいるところ(幽界)はあまり良いところではなさそうだ。
・「黒い女」
「黒いひと」は得体のしれぬ存在で、幽霊の一種だと思うが、感情のようなものが感じられない。全身が真っ黒で、男女だけ判別出来ることがある。この神社だけでなく、街中のあちこちにも立っている。(昨日も街灯の後ろに立っていた。)
死期の迫った人の周りに良く集まるので、「ひとの死を見に来ている」のではないかと思う。要は鬼の仲間だ。気色悪いことに、この画像に見えている「黒い女」は当初、背中を向けていたのに、今は正面を向いているように見える。
・私の姿に似せた男
これは幾度も取り上げ、その都度解説文を入れた。私の姿が半分消失して、背後に男が取り憑いているのだが。この時の私の姿に極力似せたいでたちをしている(サングラスや髪形)。だが、微妙にかたちが違うし、そもそも顔が別人だ。
私に近づく過程で、外見を似せて来ているのだと思う。長く考えさせられたが、目的は「私の感情と同調・同化して、自我の中に入り込む」ことだと思う。
肩に乗っている場合は「心を吹き込む」ことが多いのだが、これはさらに一歩進んだ状態だ。
欧州の伝説に「ドッペルゲンガー」があるが、これは死期が近づいた者の近くに、それと瓜二つの者として現れる。状況的に、それと同じ性質のものだと思われる。
・顔だけの老人
日高市の温泉施設の前で撮影すると、私のお腹付近に老人の顔が映っていた。
室内外の環境を点検したが、傍に人がいた形跡が全くなく、顔だけが画像に写っていた。苦し気な表情なので、この地所縁の者かと思ったが、素性は分からなかった。
だが、あまり宜しくない者だったのか、数日後に同じ場所で、巫女さまが姿を現し、割って入ってくれたようだ。
・巫女さま
老人を解明すべく温泉施設に日参したが、巫女さまが割と鮮明な姿で現れた。
私の腕と巫女さまの腕がチェーンのような鎖で繋がれており、まるで「この者はわたしのものだから」と宣言しているかのようだ。おそらく、老人を含め私に付き纏う雑多な者にしめしを付けていたのだろう。巫女さまは殆ど表には現れず、離れたところから見守っているが、多くは「お稚児さま」や「猫(トラ)」を使いとして寄こす。
自らが現れるのは、よほど危険な時だけのようだ。生きている人間には、「あの世の理」がよく分からぬし、見えず聞こえない。
・よく分からない煙玉
煙玉は物理的な要因で現れるのだが、あの世要因もこれを催起させる要素があるらしい。発生原因がよく分からない場合が時々ある。
交差点で停止し、スマホの時刻を見ようとしたら、カメラが立ち上がっていて、ファインダの中が煙玉だらけだったので、そのまま撮影した。ま、角度的に外の光も入る状態だから、何かの照明が反射したのかもしれん。要は「よく分からない」だ。
・「流行らずの店」
市内に「幾ら出店しても半年もたない店」がある。当家の隣人が焦点を経営していたが、その人が商売を止めた後も、半年と営業が続かない。「テナント募集」の張り紙が出ていることが多く、たぶん、賃料も安い。だがやはりどんな商売をしても、三か月四か月で閉店する。たまたまその店の前に来たので、何気なく正面を見ると、窓ガラスに何やら顔が出ていた。それで「何か良からぬ者が妨害している」のだと分かった。
すぐに撮影したが、顔の一部分が写っただけだった。ただ、前に立つとやはり気持ちが悪い。
・あの世のバケモノ
あの世(幽界)には、死者の他にバケモノのような存在がいる。あるいは昔は人間だったのかもしれぬが、姿かたちが異様だ。これは、狼のような顔つきで、蜘蛛や節足動物のような長い手足を持っている。最初は鮮明だったが、時間の経過と共に次第に姿が薄れて来た。
昔から妖怪の伝説が世界中にあるが、それはたぶん、こういう者の姿を「ガラス窓」や「水面」に映る影を見てイメージしたのだろう。ただの想像だけではなかったと思われる。ま、アモンを見ているので、何が出ても不思議ではない。
・幽霊ストーカー
有馬ダムの店の前でガラス窓を撮影すると、前に女子高生が立っていた。もちろん、生きた人間のことだが、窓の方には、その女子の肩に男が乗っているのが映っていた。
今風のいでたちで、黒シャツ。髪形などは業界人っぽい。
性的な欲望に従って、女子高生に寄り憑いているのだと思う。
・ドロドロな幽霊たち
週に三階くらいずつ、有馬ダムにお焼香をしに行っていた時期があるが、これは最も出方が激しかった頃の者だ。売店は週に二三日しか開いていないのだが、この窓ガラスにはいつも人影が煙玉が映った。霊霧の中に隠れているので、目視確認が難しかったのだが、何せここではやたら声が聞こえた。
二年くらい続けていたが、ある時、穴が閉じ、それ以後は返事が起きなくなった。
声が煩いくらい聞こえていたのに、ぱたっと静寂に。
・亡者の隊列
これは私があの世の解説で最も例示した画像のひとつ。
子どもの頃から「亡者の群衆に後をつけられる」夢を何百回と観て来たが、距離を次第に詰められて来て、この頃についには追い付かれた。
まるで百鬼夜行のような異形の者たちの中に飲み込まれる夢を観たが、その頃に撮影した画像になる。神殿の前には私一人だけがいたが、私の左右や背後には数十の人影がが連なっていた。
(たった今、机脇の電話が「チリン」と鳴ったから、今もその状態らしい。この電話は回線が繋がっていないが、たまにあの世と通信する。)
<十ー十二月>
・顔だけの男
遠くから神殿の入り口を撮影したが、柱の陰に男の顔が半分出ていた。
たまたま角度によってそう見えた可能性があるが、肩から下がないのと、腕が変な角度で出ている。かなり遠くから望遠で撮影したのだが、男は私のことを正視していた。
・死後も悪事を働く男
殆ど「プレデター」状態(透明に近い状態、の意)の男が女児を抱えている。
生前も幼女嗜好があった者が死後もそれを続けているものと見られる。執着心により幽霊になった。
・肩に乗る男女
目視でのかたちとしては分かりにくいが、男性は背後に男女を引き連れている。
邪な気配なので、男性の心身に少なからず影響があると思う。
気分転換をし、物事を明るく考えるだけで、この手のを減らすことは出来る。
・妖怪「猫娘」
たまたま参拝客の行列を背後から撮影したもの。
左端の男性の傍らに、到底、人間とは思えぬ者が写っていた。外の実写部分にはおらず、純粋に窓ガラスの中だけにいる。人間の姿をしていない。
・幽霊も神社に参拝する
夕方、周囲に誰もいない条項で窓ガラスを撮影すると、前に老女の姿があった。
半透明なので、生きた人間ではないことが一目で分かる。
よくよく見ると、やや後方に看護師の制服を着た女がぶら下がっていた。
縊死したが、その時の状態のまま、苦痛を反芻しているのだろう。
「自死はやめとけ」と言うのはこれが理由だ。死に際しては、自身の苦痛から逃れる気持ちが強いわけだが、それが縄以上に心を縛るので、死後も「死の直前に執着していた感情」に囚われる。そのことに気付ければ、その状況から逃れ出ることが出来るのだが、死ぬともはや思考能力を失うから、自身の苦痛のことしか思い浮かばなくなる。
ここから抜け出るまで、長い年月を要する。もし自死が避けられぬなら、なるべく「楽しかった頃」の自分を思い出しつつ逝くことを心掛けること。そのうち、死にたくなくなっていれば尚よい。
意図的に死を選ばなくとも、人生はあっという間に尽きる。
看護師は自ら神社には来られぬ条項だから、私の後をついて来たのかもしれん。
病院関係なら、私は常時出入りしている。
時間が来たので総括は無し。
この年ほど騒がしかった年はない。
記述中、途中で二度電話が鳴り、文面にトラブルが生じた。説明が消失した箇所が幾つかある。
注記)眼疾で文字が良く見えないので、誤変換が多々あります。