日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎病棟日誌R070830の続き「周囲に知られる」

病棟日誌R070830の続き「周囲に知られる」
 既に予知していることは「九月十七日の午前五時」に重大な事案が生じることで、これは循環器の医師にも話した。
 「その少し前に救急救命センターの前に来ていますから」
 午前四時には病院の駐車場に行き、そこで待機する予定だが、この日は水曜で、当方の担当医はクリニックの方の当番がある日だ。早朝から午前中は病院の方にはいない。
 そこで、治療歴や要点などを送って貰うことになった。
 こういうのは、一般の人の理解を超えた範囲だから、十六年前に初めてこの医師に世話になった時の話をした。
 「左胸に『病気の煙玉』が出ていたので、朝の五時に救急病院の駐車場で待機していました」
 ロビーに血圧計があったので測定すると、四時半には200を軽く超えていた。
 そこで窓口に行ったが、まだ夜番の範囲で、空いた内科医がいなかった。この巡り合わせで、重大な事態に至る人もいる。
 九時頃までロビーで横になっていたが、先に来た呼吸器担当医で診て貰った。これは心肺症状が顕著で、息をする度に「コロコロ」というおどけた音が響く症状があったからで、そこからでも調べられる。
 まだ、この時点では当方は心肺症状のことを何一つ知らない。
 すぐに心筋梗塞であることが分かり、専門病院に移ることになったが、「救急車に乗って行くか?」という医師の申し出を断って、自分の車で2キロ離れた循環器病院に行った。
 連絡が届いており、玄関先で用件を伝えると、そのまま担架に乗せられ手術室に入った。
 冠状動静脈が三本塞がった状態だので、ぎりぎり幸運だった。
 てな話をした。
 人知を超えた領域の話なので、医師は微妙な顔をしていた。
 そこで、「お知らせ」の段階からの写真を見せた。
 ここはきちんと証拠写真があるのは助かる。これがないと、ただの想像や妄想だと見なされる。
 ま、霊感や直観は、基本的に想像やイメージで、あれこれの気配を分かり易く形を変えたものだ。能力みたいなものではない。
 この辺が分かっているかどうかで、その人の感覚や経験の程度が知れる。

 こうなると、今起きている症状が、身体要因なのか、あるは別のところから来ているものなのかを見極める必要がある。
 病気の原因の九割は老化や身体要因で、有機体としての不調から来る。だが、ごく一部には、あの世のもたらす負の影響で、心身に不調を覚える者もいる。
 当方は典型的な後者で、自分が「影響を受けやすい者」であることを認識しているので、両面から手を打つ必要がある。
 当方の抱える症状の1割くらいは、他人(幽霊だが)の苦痛をシェアすることに起因していると思う。たかが1割だが、されど1割だ。

 二年くらい前に、廃病院の前を通りかかった時に、空き地の中に事務棟だけがまだ残っていたが、つい二階を見上げると、「カーテンの後ろに女が立っている」気がした。目視出来ないので、すぐに撮影したが、それにも写っていない。だが確信があり、その後、それが五十台の女性患者で、五年くらい前に亡くなっていると悟った。
 その日の夜には両足が腐り始め、指と踵が紫色になった。
 傷から化膿したのなら、進行が速過ぎる。
 この「異常な進み方」も「障り」の共通の兆候だ。
 あの世の存在が関わる場合は、二三日のうちにあちら側に持って行かれることが多いから、考えたり検証したりしている暇はない。
 野球に例えれば、ボールは投手の手から放たれた状態なので、「そのボールが本当にあるか」みたいなことを考えていたら、打ち返すことはままならない。
 先んじて想定し、手を打つことを心掛けて来たから、今まで死なずに来られた。 
 ま、当家では「電源の繋がっていないフードプロセッサーがウインウインと動く」から、それを「なかったこと(無視する)」には出来ない。現に目の前で見ている。

 ここで「廃病院の女」を持ち出したのは、今、ごく近くにいるあのオバサンが、この時の女ではないかと見ているからだ。
 一度接点が出来ると、「繰り返し近寄って来る」のがあの世の常だ。
 念の力で退けることは出来るが、それは一時的なものだ。人を殴って追い払ったら、必ず後で仕返しに来るが、それと同じ理屈だ。
 ちなみに、「念の力で追い払う」とは、お経とか祝詞を唱え、精神的な圧力で押し出す行為のことを示す。霊感なんか殆どなく想像で語る事象霊能者でも、「念を込める」練習を積むと、除霊が出来るようになる。目を瞑っていても、竹刀を振り回せば、周りの者は当たらぬように距離を置く。そういう理屈だ。

 さて、この半年の不具合の中心は、足腰の痛みだ。これは「廃病院の女」と関係しているかもしれんが、他に心臓に触ろうとしている者がいて、これはまたまったく別の者のようだ。
 これを探し出して、「相手と手を打つ」必要があるわけだが、その期限は残り二週間になった。

 で、ここからが本題。
 こういう状況なので、師長やもう一人の看護師には、現状について説明した。もちろん、写真付きだ。
 これで世間一般の「せいぜい好奇心の範囲」の話ではないと分かって貰える。そこに至ると、当方と関わらぬようにして貰えるから助かる。
 集中して向き合う必要があるから、口や手を出さずにいて貰えるのは有難い。

 一方、師長か看護師がやはり写真を見た話をナースステーションでしたのか、他の看護師もそれを知っているようだ。
 まったくこの件について話していない看護師が「(写真を)見てみたい」ようなことを言って来た。
 テレビの心霊番組を見るような感覚でいるらしい。
 「でも、写真を見て、それで幽霊が移って来ることはあるのですか?」
 ああああ。当方が戦っていることはそういう次元の話じゃないんだよ。チ。
 そこで「無いわけじゃないので、怖いもの見たさならやってはダメですよ」と答えた。
 実際には、写真を見ただけで直接的に悪影響が生じることはほぼない。気持ち悪い者が写ったらすぐに捨てて、接点を作らなければ問題なし。お焚き上げなども不要で、基本は興味を持たぬこと。
 だが、見たことで、感覚が鋭敏になるということはある。
 人間の平均的な知覚範囲の少し外にいるから、見えぬし聞こえぬのだが、自ら近寄ることで、「検知しやすくなる」という帰結的傾向が起きる場合もある。興味を持つことで共感する部分が生じるわけだ。幽霊は感情だけの存在で、感情は波の性質を持つ。興味を持ち、共感すれば、波が同調して、重なるチャンスが生まれる。
 要は「こっちを見ている・見られている」時の感覚を自覚することで、「誰かが自分を見ている」経験が増えるということだ。察知しやすくなる。
 知らなければ気付かない。
 こういう知見は、好奇心ベースの出発点からは発展しない。
 「あなたの知らない世界」は単純に「知覚しにくい」だけで、実はそこいらじゅうに存在している。知らないから恐怖を伴って語られるが、その考え方からは何一つ生まれないし、発展しない。恐れを排除しなければ、合理的な解明はない。

 これまで隠して来た色んなことが周囲にばれたが、そんなことはどうでもよい。今は「稲荷の障り」で苦しめられた時よりも、一段先に進んだ状態だ。とりわけ「胸に手を入れている」奴の正体を暴かぬと、九月十七日にはこの世を去ってしまう。
 まずは「見つけて、解きほぐし、和解する」のが一番だ。
 他人がどう考えようが、どう受け止めようが知ったことではない。

 好奇心は明日も今日と同じ日が来ると信じられる者には許されても、当方のように「今日と同じ明日は来ない」者には許されない。練習も試行錯誤もない。今が常に本番だ。