◎病棟日誌R070906「ミッキーで泣く」
◎病棟日誌R070906「ミッキーで泣く」
食堂で病院食を食べていると、背後の会話が聞こえた。
「人造人間」の異名のあるAさんが、元は当方の隣のベッドにいたジーサンに声を掛けていた。
ジーサンがミッキーマウスのバッグを持っていたのを目にしたらしい。
「ミッキーが好きなんですか?」
「なに。子供たちに貰ったんだよ」
ジーサンの答えとは関係なく、Aさんが自分の話を始める。
「私はディズニーが好きで、毎年7回は行ってたんです」
「へえ」
「次に行く時には・・・」
Aさんは心臓に繋がる動脈がパイプだらけ。このため「人造人間」と呼ばれるほどだが、その治療のため腎不全になった。まさに満身創痍で、まだ60手前だと思うが、外見は85歳くらいに見える。ダンナを早くに亡くして、娘は他家に嫁にやったので一人暮らしだ。
そのディズニーランドの話を聞いているうちに、感情がこみ上げる。
「わたしもディズニーにはよく行ってたのに」
目頭が熱くなる。
ここで我に返る。
「ちょちょい。俺は人混みが嫌いだからディズニーなんか1回しか行ったことがないぞ。しかもジジババに預けて、自分はホテルで一日中グダグダしてた。アトラクションなんかはひとつも観ていない」
ははあ。あのオバサンがまだ当方の肩に乗ってるんだな。
お寺に行き、少しは軽くなったかと思ったが、さすがにあのオバサンはしぶとい。
しかし、ディズニーの話でジジイがもらい泣きをしてるんじゃ、情けない。
Aさんは今は車いす生活で、これからディズニーに行くのはしんどいが、「楽しいことを考える」のは長生きの秘訣だ。
それと食欲性欲など欲望が勝る人ほどなかなか死なない。
エロオヤジはゴキブリ並みの生命力がある。
なんだか可哀そうになったので、帰り際にAさんに声を掛けた。
「声に張りがあるから大丈夫だよ。実際はしんどいだろうけどね」
最近、正面玄関の前に車を停めるようになったが、他の位置には坂があり、今はその坂を上り下り出来ないから障碍者スペースに入れる、などという話をした。
この時、間近で見たが、Aさんの頭の後ろに黒い影が出ていた。
Aさんは生命力が強く、どんなに厳しい手術を受けても、命の危険が及ばないように見えていたが、もはやそろそろらしい。
これまでよく耐えたもんだ。
更衣室に向かう途中、不味いことに気付いた。
「常々、Aさんは俺より長生きすると見ていた。そのAさんがそろそろなら、俺もいよいよヤバいというこった」
ま、Xデイまではあと十日だ。
足の指を二本渡し、「今回はそれで帰って」と伝えているが、うまく行くかどうかは分からない。
でもま、万事が「そんなもん」だわ。割と楽しい人生だった。
トダさんのベッドが空なのを見ると、途端に後悔に苛まれた。
箪笥の脇に立っているあのバーサンが、トダさんの姑なのか別の親族なのかは知らないが、あれを放置するのはあまり良いことではない。
一度だけ、「箪笥の角に癒し水を備えて」と伝えたことがあるが、それだけ言われたのでは誰もやらないだろうと思う。
だが、あの世の話をすると、拒否反応を示す人は多いから、「そこにバーサンがいて睨んでいる」とは、なかなか言えない。
実際、こういうことを言う奴は、自己顕示欲が強いか、「イカレている」奴だ。
だが、危機は「少しの可能性」の段階から、ある程度想定しておくと、いざという時の対処が迅速になる。
もちろん、関係が良好な人ほど、逆に言い難くなるから、言い出すタイミングが難しい。
自分にとって大切な人(家族)なら、疎まれても「気をつけろ」と言うだろうと思うが、他者はそうは行かない。
直観で見ることは、ただのイメージに過ぎないからなおさらだ。
心臓の治療なら、ひと月くらいは入院するから、十月くらいにひょっこり帰って来てはくれんものか。
ベッドが空いたままなら、まだ最悪の事態ではない。
そこに別の患者が入ったら、もうトダさんは戻っては来ない。