日刊早坂ノボル新聞

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◎病棟日誌R070909「虫の知らせ」

病棟日誌R070909「虫の知らせ」
 朝、病棟に入る時にAさんよりシャインマスカットを頂いた。「先日のお礼」とのこと。
 隆仁寺に参詣した折に、Aさんのために「大日如来」のお札を頂こうと思ったが、社務所では「単体では出していない」とのこと。
 同じ宗門でも、地方・地域によって幾らか習慣の違いがあるらしい。郷里では仏神のお札を家の柱に貼ることは良く行われていた。毘沙門天が最も多い。
 なお、御朱印帖のかたちでは出してくれるらしい。
 そこで「神道の天照大皇神のように、東向きの部屋に貼って邪気を祓う用途で使います」と説明した。

 Aさんの家は、元々、代々お寺だったので、神を祀っていないそうだ。天照を入れると、家の中が清浄になるのだが、これは仏門にはそぐわないので、同じ意味を持つ大日如来を安置しようと考えたのだった。
 「信仰に関するものには礼は要りません。商品をやり取りしているわけではないので」
 だが、どうしてもと言うので、朝から押し問答しているのもなんだから、そのまま拝領して来た。
 Aさんは「人造人間」の異名を持つ不死身の女なのだが、今週から入院しているらしい。寝間着のまま病棟に来ていた。

 どんなに厳しい外科治療を受けても、オーラが鮮明だったから、いつも「そうそうAさんがくたばることはあありませんよ」と伝えて来たのだが、この日はそれがグレーに変わっていた。
 Aさんも「その時」に徐々に近づいているのだった。
 寺から運んだ幾十かの位牌の放つ邪気を鎮めると、まだ先延ばしに出来ると思うが、こればかりは本人と家族が考えることだ。

 治療が終わり、病棟を出ようとする時に、トダさんのベッドの前を通った。やはり空で、今週が三週目になる。
 「循環器ならひと月くらいが目安だな」と思って眺めていたら、何となくざわざわ感がある。
 これで「今朝、何かが起きた」と分かった。
 トダさんはもう戻っては来られないかもしれん。
 ま、ただの「虫の知らせ」で、必ずしも正確ではない。

 トダさんと交流が出来たのは一年前で、この病棟にトダさんが入って来た時からだ。
 食堂で顔を合わせたが、トダさんは食事に一切手を付けない。
 家でも同じようで、食事を摂らぬとどんどん体が弱って行くから、見る見るうちに具合が悪そうになった。
 「このままでは三か月持たないだろうな」と思ったので、当方から声を掛け、少しでも食べられるような食事の工夫について伝えた。
 最初は治療自体が物凄くキツいし、精神的にも追い詰められる。こころを強く持たぬと、体力が削がれ、一層、滅びに近づいてしまう。病気以前に絶望感が原因で死に至る。
 「自ら死に向かわなくとも、この病棟の患者は余命が短い」と分かるのは数年後だから、当初はかなり思い悩む。
 七八年前にこの病棟が出来たのだが、最初の年にいた患者六十人くらいの中で今も生きているのは四人だけだ。
 そのうち、当方とAさんはかなりヤバいので、かなり長い方でも余命はそんなもんだ。また、癌や心筋・脳梗塞で死ななければ、誰もが最後は腎不全になり、心肺の機能不全で死に至ることが分かると、割と平気になる。がっかりしようがしまいが、生きようと思うか思うまいかに関らず、余命は僅かだ。自ら死に向かう必要はない。

 トダさんと話をするようになった最初の頃に、ひとつのヴィジョンを観た。
 トダさんの家の中で、たぶん、仏間に当方が立っている状況だ。
 「たぶん」と言うのは、仏壇をおそらく背中にして当方が立っているから、前方には見えないということ。
 八畳くらいの畳の部屋だが、壁側に箪笥が二棹置いてある。
 で、その二棹の左側の箪笥の脇に、お婆さんが立っている。
 表情が険しく、「こりゃ生きている人ではない」とすぐに気付く。 
 「この家の人なのだろうけれど、誰なんだろうな」とは思うが、そこでそのイメージから離れた。
 こういうのは単なる想像や妄想ではない場合がある。
 そのお婆さんに近づいて、触るか視線を覗き込めば、どういう人か、何のためにそこにいるのかが分かって来ると思うが、うっかり接点を作ると、当方がそのお婆さんを引き取ってしまうことになりかねない。その場合、当方はそのお婆さんがそこにいる理由を知らないから、解決策を見出せない場合がある。
 関わらん方が身のためだ。

 だが、家の中に悪意を持つ者が居続けるのは、あまり良いことではない。直接何かするわけではなくとも、負の気配が家中に充満する。
 知り合いになってしまったので、もはや看過は出来ず、トダさんにはいくつか助言をした。
 「左の箪笥の角に、時々、お水を備えること」
 「頻繁に窓を開け外気と日光を入れること」
 そして、お稚児さまのキーホルダーを渡した。
 「いつも持っていること。信じれば、この子は幸運を運んで来てくれる」

 たぶん、殆どの人がそうであるように、当方の意図は伝わらなかっただろうと思う。
 当方は「お婆さん」の話をしなかった。
 直観霊感は、ただのイメージに過ぎぬし、現実ではなく心象であることの方が多い。
 それに「家の中に、お婆さんの幽霊がいる」と言う話は、だれしも聞きたくない。思い当たる人なら役立つが、不通は想像しないし、怖いから極端な反応を示す。
 恐れは眼を曇らせ、瞼を閉じさせる。瞼を閉じている者にはすぐ前に孫z内するものが見えないから、幾ら説明しても無駄になる。逆に過剰に否定するようになるから、核心ついては言わないことが殆どだ。

 だが、今になり思うことは、やはり「言えば良かった」ということだ。自分の親族やごく親しい知己ならすぐに伝えたと思うが、そこまで身近な関係ではなかった。
 あの世がひとの生き死にに関与することは滅多になく、病気の大半は老化と身体要因で起きる。幽霊が関与するのはごく数パーセント程度だ。
 だが、存在はしており、当方などは影響を受けやすいタイプになっている。
 夫も大きな負の影響は「心が暗くなる」ということだが、これを祓うと、あっさり状況が好転したりする。

 病棟の患者仲間だったトダさんには、もう会うことはないのかもしれん。それだけに後悔が残る。
 勝手に「かなり厳しい事態」と決めつけ、思い出を記しているが、これは思い出を語ることはご供養になるからだ。
 暫くして、ひょっこりとトダさんが帰ってくるかもしれんが、その時は笑い話になると思う。
 「俺の直観など全然当てにならなくて」と語る時が来ることを願う。
 万が一戻って来るなら、その時はその当方がお婆さんと向き合うことになると思うが、当方自身が果たしてこの世にいられるかどうかが問題だ。