日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

「北斗英雄伝」:16世紀末の日戸郷 日戸内膳について

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

話の発端に、岩手郡郷士として、日戸内膳と玉山重光が出てきます。
このうち九戸の戦いでは、日戸内膳は南部信直方の武将として参陣しますが、知行1,300石で信直勢の中では上から11番目くらいの領主でした。

『聞老遺事』によると、参陣は配下の侍30人で行われたとされています。しかし、この他に36人の手勢を加える記録もあり、この分は日戸常陸が率いたと見なされたようです。この辺の説は資料によって違っており、日戸常陸について玉山常陸と書かれているものもあります。

日戸勢は、36騎の他に鉄砲2、弓手1で参陣しましたが、とりわけ戦功を挙げたのは日戸常陸で、南部信直に認められ、「常陸」という官名を貰い、南部氏が盛岡に築城・移転後は城下に移り住んでいます。

画像は上から、日戸郷への看板、日戸八幡の入り口、八幡下の湧き水、日戸氏菩提寺であった常光寺です。
なお常光寺は明治時代に、石川啄木の父が住職を務めたことで知られています。