日刊早坂ノボル新聞

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「北斗英雄伝」:16世紀末の日戸郷 玉山常陸について

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話の冒頭で、玉山重光という日戸氏の家臣が出てきますが、これは実在した玉山常陸という人物を想定したものです。

玉山氏の祖は源頼朝に武功を認められた河村四郎の一族と伝えられます。
画像の館跡は、河村(玉山)小三郎が13世紀に築いたとされるもので、丘陵の地形を利用した旧城になります。このため、現在の地名も「城内(じょうない)」と呼ばれます。

鎌倉・室町時代には、金を多量に算出したため、これが玉(=金)山の名の起こりになります。
一時は、金掘り人夫が1千人以上も移り住んだとされるこの地は、その当時としては大都会でした。
その後、金が出なくなり、14、15世紀には没落します。16世紀後半には日戸常陸、玉山常陸と名前の記載にぶれがあることから、山一つ隔てた日戸氏の1郎党の立場だったと推定されます。

九戸の戦いの武功により、「玉山常陸」を名乗ることが許され、盛岡に移り住むようになりますが、それ以外はよくわかっていません。
よって「重光」はあくまで仮につけた架空の名前です。