日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

「北斗英雄伝」:九戸神社にて

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4月23日に九戸神社に参拝しました。
平日の朝でしたので、辺りに人はまったくいません。

九戸神社は、九戸村の総鎮守で、九戸家が代々戦勝を祈願したと伝えられます。
承和9年(842年)の建立とされ、神社内には、鎌倉末期(1330年)以前のものと推定される御神体妙見菩薩のほかに毘沙門天、奉納剣、棟札、泥絵といった村指定の文化財が多く納められているということです。九戸村の案内によると、棟札は今から約500年前のもので、九戸政実の史実としてただ一つだけの確からしい証拠となります。
九戸の戦に関する伝承は、主にかなり後になってから記されたものばかりで、様々な説がありますが、どれが最も信憑性が高いのかは、今をもって分からない状況です。

画像は正面入り口の平和記念像から順々に並べてあります。
鳥居を2つくぐり、階段を上がると正面が九戸神社です。
境内を右に進むと、さらに上に政実神社があります。
隅々に至るまできっちりしたつくりで、極めて清浄です。長い間、地元の人たちに深く信奉されてきたことが推察されます。

三迫で斬首された政実の首級については、ある者が闇に紛れて持ち帰り、この九戸神社の近くの首塚に葬ったという説と、秀吉の目前での首実検に供されたという全く異なる説があります。