日刊早坂ノボル新聞

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九戸戦始末記 北斗英雄伝 其の六 散花の章

其の六 散花(ちりばな)の章

<この章のあらすじ>
 南部信直による九戸侵攻を撃退した後、法師岡館主・櫛引清政は自領に帰り、兄の清長にそれぞれの息子が1人ずつ戦死したことを伝える。兄弟は直ちに報復を企図し、櫛引一族だけで南弾正盛義のいる浅水城を攻めることを決めた。
 櫛引の先発隊はわずか30騎で、浅水城の手前で南弾正の待ち伏せに遭い退却する。南弾正はすぐさま追跡を開始したが、気がついた時には櫛引領の奥深く入り込んでいた。櫛引先発隊の退却は策略であり、南弾正は弟康政とともに櫛引の本隊に囲まれ、命を落とした。
 一方、疾風は岩手郡の山館で1ヶ月にも及ぶ闘病生活の後、ようやく回復する。山桜見物に出掛けた疾風と葛姫は、岩泉の黒狼に遭遇するが、疾風が三戸のお晶からもらった刀でこの宿敵を倒す。狼との戦いの後、疾風の振舞いにお晶の存在を感じ取った葛姫は、自らの思いを告白するのであった。

<登場人物氏名(登場順。○は三戸側、▲は九戸側、□■は氏名不詳に対する仮名または創作上の人物。黒は九戸側)>

▲櫛引清政(46歳):櫛引清長の弟で法師岡館主。
▲櫛引河内守清長(52歳):櫛引城主。南部信直、八戸政栄と長年の間抗争している。
南部信直(45歳):北信愛の導きで、先々代・晴政、先代・晴継を暗殺し、三戸南部の当主の座に着いたが、決断力、統率力に欠ける主君である。
○南弾正少弼盛義(50歳前後か):南康義の男で 室は南部晴政の女。三戸南部の重鎮。
○北左衛門佐信愛(68歳):陰謀に長けた南部家の執事(家老)。九戸侵攻の策を次々と繰り出す。
○八戸政栄(まさひで)(48歳):根城南部氏18代の当主。北奥の南部氏としては本家となるが、眼疾により眼がよく見えず、常に一歩下がっている。「まさよし」と読まれることが多いが、正しくは「まさひで」のようである。
▲九戸左近将監政実(56歳):二戸宮野城の城主。六尺(約180cm)を優に越える長身の持ち主。豪胆で武芸に秀でている。
■櫛引篠(39歳):古文書では「櫛引清政の内儀」とのみある。「篠」は当作による仮名。
■三好平八(45歳):三好康長の隠し子である上方侍。葛西・大崎の一揆に乗じて北奥に落ち延びる。疾風たちと行動を共にすることにより、自己を回復していく。
▲工藤右馬之助(40歳くらい):軽米の小領主で、九戸政実にも一目置かれる鉄砲の名手。「北斗の英雄」の1人。
■厨川五右衛門宗忠(=疾風、30歳くらい):岩手郡姫神山の麓の領主・日戸内膳の命により、三戸と九戸双方を偵察に訪れる。武芸の達人。
▲九戸隼人正実親(49歳):政実の弟で、豪胆かつ気さくな性格で、宮野城の誰にも好かれている。
▲久慈政則(37歳):政実の弟で、久慈直治の女婿となり久慈氏を継ぎ、陸奥久慈城主となる。
▲大里修理亮(しゅりのすけ)親基(修理太夫とも、40歳):鹿角大里館主。かつては三戸南部の命により、鹿角戦で前線に立ったが、南部家の横暴に耐え切れず、九戸方となる。
▲高屋(たかや、高家:こうかとも)将監:九戸方の将で詳細不詳。
▲晴山治部(じぶ):軽米大野の地侍
▲円子(まるこ)金五郎種則:元は鹿角花輪氏であったが一族離散の後、九戸村円子に移る。
○北愛一(ちかかず)(彦助、定愛):北信愛の後妻の子。軍略では弟の秀愛にやや劣る。
○南康政、南直義:いずれも南弾正盛義の弟。
○苫米地(とまべち)因幡:苫米地館主。
○桜庭安房直綱(直英):桜庭安房光康の子。
○東中務(なかつかさ)尉朝政(直義):東重康の子。東政勝より2代後の後継。
▲天魔源左衛門:七戸家国の家臣で、乱破衆(忍者)。五尺ちょっとの小柄な男である。
■葛姫(17歳くらい):日戸内膳の養女。熊に殺された「山の者」(アイヌ)の子で内膳に育てられる。碧眼の美女。
■玉山小次郎(○玉山兵庫):後に三戸南部氏の配下となり、九戸戦の軍功により兵庫を拝命する。この時点では、厨川五右衛門(疾風)の弟子である。

盛岡タイムスでの掲載時期は、9月中下旬開始を予定。

<ミニ解説>
 櫛引氏による浅水城攻めについては、天正18年のこととするものがありますが、根拠が薄く、「九戸政実の野心に対し、三戸南部が仕方なく九戸戦に向かうことになった」とするための後世の捏造だろうと考えられます。南部家では正月の宮野城攻めについても黙していますが、これに対する報復攻撃的な意味があったと解釈すると合理的なものになります。浅水攻めは天正19年2月19日もしくは20日のことだったという説があり、これを認めると、三月の苫米地、伝法寺戦の構図がわかりよくなります。