日刊早坂ノボル新聞

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沼宮内城での軍議

 沼宮内城は、九戸討伐の上方軍が、南部利直を加え軍議を開いた城として有名です。しかし実際に城址を訪れてみると、総勢5万騎を超える軍勢がわざわざここに集まったことには、かなりの疑問を感じます。

 これに対し、地元である岩手郡の記録を開くと、南部藩が作ったものとは違うことが書いてあります。
沼宮内城は、九戸戦の際に、九戸党の襲撃を受け落城した。」

 このように書かれているのは、ここの資料だけです。
 これが事実とすると、宮野(九戸)城包囲の前の話なので、それが天正19年のどの時点のことなのか、まったく想像が付きません。
 
 本作での基本方針は、「地元史に書かれていることを最優先する」ことなので、頭をかなり悩ませました。
 昨夜、あることにはっと気付き、手を打ちました。

 北上を続ける上方軍が、平場でなくわざわざ山城の上まで行った、その具体的な理由は何か。
 なるほど、そこが敵に押さえられていたからですね。
 要するに、九戸党の支配下にあった沼宮内城を奪還し、そこで軍議を開いたという流れです。

 取るに足らない想像で、考証には耐えられないのですが、話(小説)としては成り立ちそうです。
 城内の守備兵が小数であれば、それほど争わずに撤退したことでしょう。
 五右衛門党の出番が見つかりました。