日刊早坂ノボル新聞

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「九戸戦始末記 北斗英雄伝」 其の14 無慚(むざん)の章のあらすじと解説

其の14 無慚(むざん)の章

[この章のあらすじ]
「無慚(むざん)」とは、自らの考えや行いを仏の教えに照らした時に、己を恥じる心の無いこと。煩悩のひとつである。

 一戸の西方寺には、英俊(えいしゅん)という僧がいた。僧英俊の年齢は当年四十七歳、背丈は五尺三寸で、中肉中背の体格であった。
 ある日、英俊が縁側で物思いに耽っていると、寺男の一人が近付いた。寺男は八戸と櫛引の間で、激戦が繰り広げられていることを報告する。これを聞き、英俊は法師岡の櫛引清政の妻である篠のことを思い浮かべた。

 僧英俊は元々武士の出で、血筋は九戸郡の大野弥五郎に名を連ねる者である。元の名は大野八郎太と言った。
 八郎太が篠に初めて会ったのは、今から三十七年前のことである。八郎太は遠縁の家に学問を習いに通っていたが、篠はその家の子であった。
 年頃となり二人が互いに憎からず思うようになった頃、篠に縁談の話が持ち上がる。相手の櫛引と八郎太の家とは家格がはるかに違っていたため、八郎太は自ら身を引いた。しかし、篠は別れ際に「わたしのことを引き留めてはくれないのか」と嘆く。篠への思いを断ち切れぬことを悟った八郎太は、篠が櫛引に嫁に行った二日後、大野を去り、一戸の西方寺の門を叩いたのであった。

 一方、政実は南部信直が四戸武田城に陣を張っていることの真意を見抜き、上方軍の来襲を想定し、櫛引、七戸を宮野城に召還することを決意した。この伝達のために、疾風、平八、権太夫の三人が北に向かうことになる。出発の前夜、疾風はお晶、平八は若菜を妻とした。

 三人は法師岡に赴き、櫛引清政に政実の命を伝える。清政は同意するが、妻の篠は櫛引の名誉を守り、かつ九戸党を支えるため館に残ると主張した。
 一度言い出したら梃子でも動かぬ妻である。清政は渋々了承し宮野に向かう。

 続いて疾風一行は七戸に向かう。途中で津村伝右衛門が関所を構えていたが、一行はこれを突破する。七戸家国は宮野に向かう準備を既に整えていた。七戸勢が発った後、疾風たちは北郡から鹿角、浄法寺の偵察のため西に向かった。

 五月下旬。南部利直一行は京に着いていた。利直は道で上方侍に「田舎者」と蔑まれたことを恨みに思い、槍を抱え外に飛び出した。北十左衛門が利直の後を追うが、黒い人影が十左衛門より先に利直に追いつき、利直を殴打し気を失わせた。その人影は天魔源左衛門(鳶丸)であった。鳶丸は十左衛門に対し、南部家と十左衛門の行く末を警告する。

 櫛引清政が宮野に去った後、空城となった法師岡館を八戸軍が取り囲んだ。館内の守備兵はわずか十八人である。しかし、篠は降伏せず篭城する。
 この報せは数日中に糠部に届いた。
 一戸西方寺の僧英俊は、若い頃、別れ際の篠に言われた言葉を思い出す。英俊は、寺の武器庫から槍と錫杖を持ち出し、法師岡に向かった。
 八戸軍は法師岡館をなかなか落とせずにいたが、中野正為の案により謀を巡らすこととした。
 「宮野城の落城で櫛引清政が討ち死にした」との噂が流され、これにより動揺した館兵が降伏すべく開門した。
 英俊と篠は、この時共に死期を悟る。
 英俊は、八戸軍の前に立ち、何百と降り注ぐ矢を受け止めるべく、宙に向かって両手を広げた。

[解説]
 櫛引清政が宮野に召還された後、空城となった法師岡館を、八戸直栄の軍が包囲します。館内の兵は20人にも満たない少数でした。
 清政の妻の篠は、夫の名誉を守り九戸党を後方から支援するため、法師岡館に残っていました。
 そこに現れたのは、篠の幼馴染であった僧英俊です。英俊は大野八郎太と名乗っていた頃、篠に恋心を抱いていました。篠が櫛引に嫁に行くことになり、自ら身を引いたという過去を背負っています。
 英俊は、30年近く前に果たせなかった思いを達成すべく、死地に赴いたのでした。
 この章は生きるのがとても不器用な男の恋の話です。