日刊早坂ノボル新聞

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「北斗英雄伝」はいよいよ最終章に その2

具体的に執筆の準備に入ったのは、十五年ほど前になります。
部屋ひとつ分の資料庫ができましたが、結局はその大半を「捨てる」ことにしました。
人が作った物語を踏襲しても意味がありません。
 
また、それらには、「馬で山道を1日50キロ近く進み、それを何日も続けながら戦もする」といった、通常ありえない事が平気で書かれています。
全部が後世の学者の書いたウソ話です。
馬で1日に移動できる最大距離が50、60キロであることは確かですが、それも道が平坦な時の話で、かつ翌日には乗れません。馬だって生き物ですよ。
当時三戸から上方までの600キロは、概ね早馬で24、25日掛かりましたが、それも途中で馬を取り替えながら進んだのです。1日に30キロも進めていませんが、これが事実。
 
7、8年前、4度目に宮野(九戸)城を訪れた時、九戸政実の人物像を思い巡らせていたところ、自然と北極星のイメージが重なりました。
ここではたと気付きます。
多くの人が九戸政実に惹き付けられるのは、常にスタンスが変わらないから。
政実がけして目先の損得で動くことの無い定見の持ち主であったことは、誰にも容易に想像できます。
 
では、話の基本ラインは、易学の方でいう天枢星(北極星)にからめたものにしよう。
北極星の周囲にいる人々がどのように考えたか、そのサイドストーリーを中心にしよう。
これで、「九戸戦始末記 北斗英雄伝」の題名が、すんなり決まりました。
北極星の周囲にいる者とは、北斗七星です。では七人の英雄だ。
北斗七星には、北極星と同じ名を持つ天枢星(アルタイル)があります。では、政実とそっくりな男を中心にしよう。これで、疾風のキャラが出来ました。
 
後になって、愕然としました。
九戸神社に祀られているのは、北斗(北辰)妙見でした。
明治の廃仏令の際に、妙見菩薩のままには出来ないので、神格化したのです。
九戸一族の守り神が、この妙見菩薩だったとは、最近まで気がつきませんでした。
また、それと同時に、何か説明の出来ない不思議な縁をも感じます。
 
この最後の章で、「北斗英雄伝」の題名の由来がわかります。
これまで政実が打ってきた策は、悉く将来を見据えたものであったことが判明します。
そして、北奥の民を守ろうとする英雄たちは、政実の信念を全うするために、平然と命を捧げてゆくのです。