日刊早坂ノボル新聞

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(北斗英雄伝)工藤右馬之助の傘撃ちと三十匁砲

 「九戸戦始末記 北斗英雄伝」の第19章には、工藤右馬之助の傘撃ちをもじった場面が出てきます。
「工藤右馬之助の傘撃ち」とは、かつて元暦屋島の合戦の際に、那須与一が扇の的を弓で射たことを引き合いに、蒲生氏郷が家臣に命じ、九戸党の工藤右馬之助に傘の嶋を鉄砲で狙わせた逸話を指します(「九戸軍記」「九戸軍談記」など)。
 この話自体は、軍記物の流れに沿った全くの作り話だろうと思います。
 
 工藤右馬之助は稲冨流砲術の三代師範で、鉄砲の名手。
 戦国時代に認められた稲富流は、後に江戸幕府の正式な砲術として採用されることになります。この事実をふまえ、右馬之助の名を惜しんだ後代の作家が書き足したものでしょう。
 
 しかし、二戸の歴史民俗資料館を訪れると、九戸戦に関わる資料と共に、三十匁砲が陳列されています。
 巨大な銃で、まさに大砲と言っても良い位のサイズです。
 おそらくは江戸の中後期のものなのでしょうが、その圧倒的な迫力を記す方法はないものか。
 
 そこで、傘撃ちをかなりデフォルメさせたかたちで採用するものとしました。
 工藤右馬之助は一戸城で、肩を負傷する設定となっています。よって、右馬之助の替わりに鉄砲を撃つのは、三好平八となります。
 三好平八が傘の嶋もろ共に撃ち倒したい相手となれば、常呂兵衛でしょう。常呂は、かつて寺池城で、平八に何の罪もない子どもを殺させたばかりか、妻の若菜の双子の姉を手ずから殺した男なのです。
 
 三十匁砲を実際に見たことのない読者は、この場面が全くの創作で、話の辻褄を合わせるために、奇想天外な兵器を造り出したと読むかもしれません。
 ところが、こんな実用的とは思えぬ銃は現実に存在しているのです。