日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

死神はネイティブアメリカン

昨年、重病で入院したのですが、麻酔から醒める直前に、死神らしき人影を見ました。
手術室から担架で運ばれ、病室に向かう時に、集中治療室(ICU)の前に立つ不自然な人を見たのです。
その人は、大柄で長髪でしたので、一瞬、「〇ツコ・〇ラックスとかいう女装家に似てる」と思いました。
しかし、大きな人が廊下の中央に立っていたのに、顔を向ける人は1人もいません。
皆、何事もないように、その人の脇をすり抜けていきます。
その「でっかい人」は2メートルに届こうという身長なのに、誰1人として、その人が視界に入っていないような印象でした。
 
その時は何も考えませんでしたが、それから2週間ほど経ってから、深夜トイレに行こうとして、再び同じ「でっかい人」を見かけました。
やはりICUの近くで、親族待合室の前あたりです。
私がいたのは重病者の棟なので、残念な事に、連日、何人かは病室に戻ってきません。
深夜にもかかわらず待合室にいたのは、そういう方のご親族です。
 
「でっかい人」は待合室とICUの中間の方向をじっと凝視していました。
その時、初めて「コイツ。もしかして死神じゃないの?」と感じました。
 
脳に血か十分に通わなかったのか、手術の前後数ヶ月の記憶は、今は曖昧になってます。
あれからほぼ1年が経ち、検査のため再び入院する事になりました。
ボツボツと昨年の事を思い出そうとしてみると、脳裏に現れるのは、あの「でっかい人」です。
正面から顔を見てはいないのですが、最近、その人がどういう表情をしていたかを、ようやく思い出しました。
あれは〇ツコ・〇ラックスさんではなく、ネイティブ・アメリカン(昔で言うインディアン)の風貌ですね。
昔、ジャック・ニコルソンという俳優が出ていた「カッコーの巣の上で」という映画がありましたが、その映画に出てくる「チーフ」という役柄のネイティブ・アメリカンにそっくりです。
生死の境目にいる「死神」が、ネイティブ・アメリカンかあ。
象徴的というか、心を掻き立てられる何かを感じます。
 
入院は間近です。
病院の中で、会いたくないぞ。あのでっかいネイティブ・アメリカン
だって、そいつはきっと死神だもの。