日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

黒い人

心不全で倒れてから1年余が過ぎ、再び心臓にカテーテルを入れて検査する事になったのです。
日程が決まったのはおよそひと月前で、今回はあくまで検査なので2泊3日で済む予定でした。
ところが、入院の期日が近付くにつれ、次第に嫌な気分になってきました。
 
体調がイマイチで、駅の階段がキツくなってます。
「これって、去年と同じような症状だな」
日一日と、不安な気持ちが強くなってきます。
入院の直前の1週間は本当に最悪でした。
車を運転していると、道端の電柱の陰に黒い人影が見えます。
はっとしてブレーキを踏み、徐行しながら脇を通りますが、そこには誰もいません。
道を歩いていても、まったく同じように、視界の端に黒い人影が入ります。
さらには空中を黒い鳥のようなものが急に横切ったりします。
 
生命力が落ちると、いわゆる第六感が勝るのか、霊の類が盛んに見え始めると聞きますが、これはその状況によく似ています。
前回は死ぬ一歩手前まで行きましたが、その時も霊が出まくり状態でした。それより数ヶ月前から、いざ写真を撮ると、自分の体のどこかに、必ずオーブが写りました。
そんなこともあって、
もしかして、オレは死ぬんじゃないか。
黒い人は、オレのことを連れ去りに来たんじゃないか。
ついつい、不吉なことを考えてしまいます。
 
あまりにも悪い予感がするので、周囲には「もしものことがあったら・・・」とそれとなく伝え、さらに、「遺言」という大げさなものではありませんが、自分が死んだ後の対応の仕方を書面にしたためました。
そういう、そこそこの準備をして病院に向かいました。
検査の数時間前に点滴が始まったのですが、看護師の針打ちが妙にヘタで、何度もやり直します。
(こりゃ参ったな。)
手術室に入ると、まずは麻酔になります。しかし、これがあまり効かず、カテーテルが入っていくに従い、腕から肩、胸辺りまで激痛が走ります。
(こりゃダメだ。)
 
造影剤を投与して調べてみると、案の定、心臓内の異常が複数個所見つかり、そのまま治療に移りました。
手術台に横たわりながら、「このひと月、階段が上がれなくなっていたのはこのせいか」と納得します。
(この少し後、ちょっとした医療事故か何かが起きて、オレは死ぬんだろうな。)
人の生き死には、人には止められないだろうから、「もはやこれまで」と観念しました。
しかし、この治療はそれから1時間半後に終わりました。
血管が塞がりかけていたのですが、まだごく早い段階だったので、スンナリきれいにできたのです。
 
帰宅してしばらくすると、気持ちに余裕ができ、入院前のことを思い出しました。
「あの黒い人影はいったい何だったのだろう」
実は心臓にカテーテルを入れられるのが嫌で、検査日を1ヶ月遅らせていたのです。
さらに、痛みや息苦しさなどといった重い症状を感じないので、入院日直前には、「検査を先に延ばしてしまう」ことも考えていました。
「黒い人」が出なければ、検査せずにそのまま放置したかも知れず、そう思うと、逆に「不安感を与えてくれて有難う」と言うべきかも知れません。
 
もちろん、「あの黒い人は、自分に治療を受けさせるために出てくれた」などとは、とても考えにくいです。
いい加減な霊感師の類なら、「死んだおじいさんが、アンタを守るために出たんだよ」って言うのでしょう。
でも、そんなことは有り得ません。
霊(三途の川を渡る前の)には思考能力がなく、目的に従って行動することができないからです。
あの黒い人影が何だったかを知りたい気持ちもありますが、もう見たくないという気持ちの方が強いですね。