日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

高水寺城址にて

たまたま国道4号線を南下していた時に、高水寺城址の看板を見つけましたので、急遽、この地に立ち寄りました。
今夏に新聞で連載した「山吹の花が咲く頃」は、ちょうど1年くらい前に構想を練った作品ですが、急病で動きが取れなくなったため、事前に現地調査をせずに書きました。
高水寺城が登場するのは、物語の最後の部分で、南部信直が城を落とした後、郡内平定を岩手侍に命じるところです。
 
病気とはいえ、行ったことのない場所の話を見てきたように書いたのでは、信条にもとります。
さすがに、城の規模や城内の距離については書けません。
このため、本丸の上に立つ信直が下を見ると、九戸政実が騎馬兵を率いて自分を見上げているが、その距離がちょうど200㍍くらいと設定するに留めました。
(ちなみに、「本丸」と書きましたが、戦国時代に「丸」という表現はありません。便宜的に使用したものです。)
 
高水寺城は、県内屈指の巨大な城です。
もし、館の類が立ち並んでいたら、さぞ壮観だったことだろうと思います。
今回、実際に本丸の上に立ってみたのですが、距離感はぴったり一致していました。
この数年は、天正年間の話を連続して書いていますが、史料を頼りとして推測で記した部分でも、「後で確かめてみると、なぜか正確に当たっている」ことが、よくあります。
その点、不思議な縁を感じます。
 
ところで、豊臣秀吉が行った害悪のひとつが、諸城破却令です。
もし、今も様々な城が残っていたら、地方史は楽しいものになっていただろうと感じます。
ところで、秀吉の晩年は、「ただの人殺しの人非人」そのものなのですが、小説の類では、秀吉にとって都合の悪い事実は、すべて消されています。
 
高水寺城に関する画像やコメントは、「北斗英雄伝」公式HPの方に掲示しておきました。