日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

夢の話 第160夜 囚われの闇

気がついた時には、既に夢の中にいました。
 
雪の降った朝。玄関のドアを開け、外に出ようとしました。
十歩も歩かぬうちに、ぎゅっと胸が苦しくなります。
半年、一年ごとに心臓の治療をしていますが、寒暖の差は身に応えます。
それにも次第に慣れてきて、しばらくじっとしていれば、その苦痛が治まることも知っています。
 
しかし、今は一向に直りません。
それどころか、眩暈までして、立っていられなくなりました。
しゃがむと同時に、グラグラと世界が回ります。
両手を地面に着き、そして、その場に倒れました。
道の反対側を歩いていた人が近寄って来ます。
「大丈夫ですか?」
その人に「救急車を呼んでください」と言おうとしたのですが、舌がうまく回りません。
「あうううう・・・」
(いかん。これって、心臓じゃなく脳出血の症状だ。)
オシムさんの言う事をしっかり聞いて置くんだったな、とCMのことを思い出しました。
すぐに、目の前が暗くなります。
 
再び気がつくと、私は暗闇の中にいました。
ここは・・・、死後の世界です。何度かこの近くに来ましたので、ここがどこかは承知していました。
心臓が止まっても、いまだ生きていた時の感情や欲望に支配されたままの状態です。
いざ死んだら、生前の総てを捨て、魂ひとつであの世に向かわねばなりません。
しかし、こだわりを捨て切れず、現世の記憶や欲望に掴まったままでいると、その妄執のために、周りが見えなくなるのです。
言葉を換えると、この空間のことを地獄とも言いますが、地獄は生きている人の最も近くにあります。
 
「現世をさまよう幽霊にはなりたくないな」
このままでいると、手探りのまま、自分に近い心情を持つ人間に取り憑く悪霊となってしまいます。
「しかし、どうすれば、あの世に行けるのだろ」
この場にテキストが置いてあるわけでもないのに、死んだ人たちは、いったいどうやって仲間のところに旅立てるのでしょう?
 
この時、不意に背後で声がしました。
「教えられなくとも、自分でわかるだろ」
振り返ると、ひとりのお坊さんが立っています。
(あ、この人は会った事があるぞ。誰だっけ。)
すぐに思い出しました。
まだ二十代の頃、時々、夢の中にお坊さんが現れ、「お前は三十歳で死ぬ」と私に告げました。
目の前にいたのはその時のお坊さんです。
(ちなみに、その年齢の時、私は現実に急病となり、一時は心臓が止まりました。)
 
そっか。まずは思い出すことからだ。
生まれ落ちてから、死ぬまでの記憶は、その総てが保存されています。
忘れたと思っていること、忘れたいこと。それらは、実際には奥深くしまわれているのです。
「自分にとって良いこと、悪いことを全部洗ってみるわけだ」
思い出したくないことの方が、はるかに多いですね。
地獄には閻魔大王はいませんが、自分自身がその代わりを務めます。
よって、ごまかしはききません。
自分の所業を冷静に顧みると、自分がこの後行かねばならない仲間の居場所がわかります。
悪意に満ちた行いをやってきたなら、同類のところです。
 
なるほど。
この審判には、はてしなく長くかかるような気もすれば、すぐに終わるような気もします。
「お前の感じているとおり、こここそが地獄だ。この空間は『囚われの闇』と呼ばれる」
お坊さんは冷徹な眼で、私を見詰めています。
 
ここで覚醒。