日刊早坂ノボル新聞

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(通り魔事件に思う)再生するための道筋が必要

このところ体調が今一つで、毎日、寝たり起きたりの生活です。
小一時間も机に向かうと、もはや体がついていけません。
ニュースを見たり、DVDを眺めるのが日課になってます。
 
ところで、通り魔事件について。
犯罪者として、1度刑務所の塀の中に落ちてしまうと、出所後の再犯率は相当なものだと聞きます。
それもその筈で、出所した後に、親族知人など身寄りがいて、きちんと面倒を見てくれれば良いのですが、もし誰も助けてくれなかったらどうなるか。
まずは、手を差し伸べてくれる人などいません。
 
ごく普通の一般人でも、中高年の就職は厳しい。
なおかつ、出所した後なら、間違いなく採用してはくれない。
もしあったとしても、よほど、なり手のいない仕事ですね。
しかし、何をするにも、保証人が必要です。これがいなければ、賃貸アパートにも入れません。
 
犯人の親は両方とも亡くなっていたとのこと。
親戚からは、さぞ迷惑がられる存在だったのだろうと思います。
こういう人は、刑務所の外に出たら、どうすればよいのでしょうか。
仕事も、住むところもないので、いずれほどなくお金は尽きます。
目の前が真っ暗とは、こういう状況だろうと感じます。
まさに絶望。
死にたいと思うが、それもできない。
「もうどうでもいいや」が、衝動的な動機なのでしょう。
 
もちろん、だからと言って、人を殺して良いわけではありません。
無関係の人を刺し殺すなど、許し難い行為です。
どこかの知事(?)のように、「他人を殺すくらいなら、自殺しろよ」と思います。
情状酌量の余地はもちろん、なし。
 
しかし、考えねばならないこともあります。
この犯人と同じ環境を放置したなら、今後もこういった「捨てばち」になる人が現れるだろうということです。
これを予防するには、刑期を務め上げた人に再生の道を与えることです。
ただ塀の外に放り出すのではなく、ひとまず仮の住まいと、仕事に就くための方策に関し、せめて十分な情報提供をすべきだろうと思います。
ここは、どこに行けば、再生の道を教えてくれるのか、その窓口をはっきりさせるという意味です。
これは、行政でやれということではなく、宗教団体でも、NPOでも、どういうかたちのシステムでも構いませんが、そのことによって、こういった無辜の命が損なわれる事態が減るのであれば、考えるべきだろうと思います。
 
人生にしくじった人を、「お前は罪を犯したのだから」とそしるだけでは、問題は解決しません。
刑務所に入ることが、その後の人生の放棄を意味するのであれば、「どんな罪でも死刑」という法律があるのと一緒です。
 
刺青があるという理由で、ごみ回収の仕事をやめてくれと言われる。(これは大阪の話。)
刑務所暮らしの経験があることで、仕事も住まいも持てない。
こういうように、将来に絶望してしまう人を生み出したら、今回と同じことが何度でも起きます。