今朝方に見た夢です。
夢の中に降り立ってみると、昔住んでいた家の前にいました。
この家は、私が高校生くらいまで住んでいた家ですが、今では倉庫として使われています。
ガスも水道も止められており、人は住めません。
今では年に1度か2度、本を取りにいくくらいです。
ドアを開けると、いつもと違い、黴臭い匂いがしませんでした。
「あれれ。誰か掃除をしたのかな」
中に入ります。
いつもは、床に埃がたまっており、掃除機を掛けるところからなのですが、ここにもザラザラ感がありません。
「人が住んでいるみたいだね」
そう言えば、中国人が「貸してくれ」と言っていると、前に聞いたことがあります。
誰かに貸しているのかも。
それなら、合鍵を使って勝手に入るわけにはいきません。
台所に行くと、やはり食器類が見当たらず、人が住んでいないことがわかります。
しかし、水は出ているようで、水道の蛇口付近が湿っていました。
「やはり、誰か人を頼んで掃除をしてもらったんだな」
なら、遠慮は要りません。
階段を上り、2階のすぐ手前の部屋に入ります。
ここはかつての私の部屋で、4畳半と8畳の2間続きを使っていました。
本棚や机、ベッドも昔のままで、きれいに掃除が行き届いています。
「30年以上経つのに、ここだけ昔のままだ」
(え。30年?)
あわてて自分の手を見ると、すべすべの若者の手です。
鏡を覗くと、やはり30歳になったかどうかの青年が立っていました。
自意識の上でも、30歳という年齢は、「今年ようやく到達するつもり」でいます。
入り口のドアから、味噌汁の匂いが漂ってきました。
ドアを閉め忘れていたので、階下の匂いが上に上がってきたのです。
「あ。お袋がささぎの味噌汁を作っているんだな」
その隣では、父が何か魚をさばいているらしく、出刃包丁の音がします。
ひと言、言っておかないと、父母は久々に帰ってきた息子のために、あれこれと料理を作り過ぎてしまうでしょう。
階段の上から、下にいるはずの父母に叫びます。
「オレはさっき冷麺を食って来たから、晩飯は軽いもんでいいよ!」
返事はありませんが、きっと伝わっているはずです。
自分の部屋に戻り、昔のアルバムやら、本やらを開きました。
高校生の時に釣りに行った写真。大学生の時にバイクで北海道を1周した記念写真。
懐かしいなあ。
アルバムを戻すと、別に封筒に入った写真が30枚くらいあります。
あれ?なんだっけ。
封筒から抜いてみると、私の娘や息子たちが小さい時の写真でした。
長女は小さい時からわがままで、親の言うことを聞かなかった。
息子は逆に気が弱く、独りでは何もできません。
ここで、異常に気づきます。
私はまだ30歳直前で、独身です。
長女が生まれるのは2年後くらい。
じゃあ、なんでこんな写真があるわけ?なぜこれが娘や息子の写真だと分かるわけ?
三半規管の調子が悪い時のように、自分の周囲がゆっくりと回り始めます。
階段を下り、居間に入りました。
「オヤジ。どうなっているんだよ」
ドアを開けたその瞬間には、父の背中が見えていましたが、声を掛けると同時に消えてしまいました。
「お袋!」
しかし、台所に人の気配はありません。
流しに近づいてみると、最初に来た時と同じで、蛇口からポタポタと水滴が落ちていました。
味噌汁はおろか、包丁すらもありません。
「じゃあ、さっきの音は何?」
ゆっくりと深呼吸をします。
もしかして、私は脳に重大な疾患が出来ているのかもしれません。
「よし。最初から思い出そう。まずはオレのプロフィールからだ」
まずは私の名前から。
「オレの名前は・・・」
思い出せません。
「齢は・・・」
これも思い出せません。
「何だよ。じゃあオレは誰だよ」
こういう状態のことは、十分に知っています。
最もありそうな状況は、「オレはもはや死んでいる」というものです。
(2度心臓が止まったことがあり、同じような経験をしています。)
死ぬと思考能力が失われますので、自分が誰かすら思い出せません。ただ、心と記憶の断片があるだけです。
「オレって、もしかして」
その先は直感で悟りました。
私は数年前に突然死したのですが、死んでからもあの世に行けず、さまよっているのです。
訳も分からず、辿り着いた先が、昔住んでいた家だったということです。
父母はまだ両方とも生きており、先に死んだ息子のことを憐み、時折、墓参りに来ています。
墓参りに来た時は、墓地の近くにある昔の家にも立ち寄っているのです。
今日はたまたまそんな時に居合わせたのでした。
ここで覚醒。
徐々に持病が進行していきますが、なるべく頑張って、父母を送ってから死のうと思いました。
幾つになっても、子に先立たれた親ほど、哀れなものはありません。